13世紀のオロモウツ司教領における入植活動を分析し、これを主導したとされる司教ブルーノ亡きあとも、①引き続きドイツ系騎士が活発に活動していたこと、②封土の授与とともに軍事奉仕の具体的な条件が入植契約書に記載されるようになったこと、③従前よりモラヴィアで活動していたチェコ系騎士も司教宮廷へ取り込んでいること、④モラヴィアからシレジアにかけて開墾の余地があったと同時に、軍役を課す必要にせまられていたこと、を明らかにした。また、旧ハムリーコフ村の実地調査では、①入植者にとって欠かせない水源があること、しかし②周囲と比べるとやや標高が高く、農作業に何らかの障害が生じていた可能性を確認した。
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