平成26年度は、中国の遼寧省で石器と鉄器の調査を行いつつ、これまでの調査成果を総合して、①石器から金属器への移行に関わる状況整理、②流通網の変化の復元を行った。以下に本研究で明らかにしたことの概要を述べたい。 朝鮮半島南部では、青銅器時代後期に東南部を中心とする石材及び石器供給の流通網が形成されていた。遼東地域から南下してきた粘土帯土器文化もこれを継承し、遼東地域にいた時期とは異なる石器製作を開始する。そして、粘土帯土器文化の後半期に燕、その後は衛氏朝鮮から鉄斧が舶載され、粘土帯土器末期には集落などで一定量確認されていた石鏃と石斧類がほぼ消滅する。ヨーロッパでは石器から青銅器の変遷の際、利器となる石器は少なくとも1000年は併存するが、朝鮮半島では100年ほどで金属器化することから、その交代が著しく速いことがわかった。 流通については、粘土帯土器文化の担う人々は、青銅器と同じ交易ルートで鉄器を入手していた。その際、利器流通の中心が、それまでの東南部中心から、西部中心に変わるという変化がみられる。楽浪郡の成立後は、西部の遺跡が激減し、首長層が没落すると同時に、東南部で大量の鉄器を保有した首長墓が出現する。この背景には、鉄鉱石の交易があり、利器を含めた鉄器が安定的に朝鮮半島南部にもたらされる。この時期にはすでに石器がなくなっていることから、朝鮮半島南部では継続的に必需品を交易に頼っていたことになる。 以上のような朝鮮半島の石器から鉄器への変遷に関する研究は検討されたことがなく、その点に本研究の重要性がある。また、楽浪郡の成立前に石器が消滅していることから、交易による利器獲得が社会の基盤に組み込まれていたことが注目される。他の器物も含め、こうした交易の活発性が漢の拡大の際にその視野に入ったと推定されよう。この点において、本研究は東アジアの歴史的変動に関わるという意義も有している。
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