本研究では、オーストラリア北部の都市ブルームで、1870年代より1960年代までの日本人移民とオーストラリア先住民の子孫のアイデンティティとルーツに関する実践を探った。文献調査とフィールド調査により、彼らの多くがオーストラリア先住民の親族組織や社会活動に従事する一方、日本人側のルーツを認め、語り、たどる、という実践を行っていることが明らかになった。そこには、複数のエスニック・アイデンティティの共存を認める先住民コスモポリタニズムとも呼べるべき態度があり、アジア人との接触の歴史の長いオーストラリア北部においては、日本人のルーツをも取り込んだ「先住民」としてのあり方が存在すると言える。
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