本年度の主たる成果は、1900年代前半の民法学における「家」概念の分析から、家族員としての奉公人について検討した点である。その成果は、「中川善之助――身分法学の「父」と戦時」(松本尚子ほか編『戦時体制と法学者』所収)、「明治民法「家」制度の構造と大正改正要綱の「世帯」概念」(林研三ほか編『家と共同性(仮)』所収、2016年8月刊行予定)にて公表した。 1910年代以降の工業化や資本主義経済の進展により、地主小作関係や労使関係は動揺をきたし、小作調停法(1924)、労働争議調停法(1926)が制定される。その背景には、農村共同体や労使(奉公)関係における紛争解決機能の低下や家父長的温情主義の希薄化がある。家族についても、「家族制度」強化のために「我邦固有ノ淳風美俗」に沿った民法改正が試みられ、1925・27年に「民法改正ノ要綱」が公表された。この要綱の特徴は、復古的な「家」を強化する側面と新しい家族形態=「単婚小家族」を想定した「進歩的」側面の二面性にあるとされる。 改正を主導した穂積重遠は、夫婦と未成年子を核とする家族像を提示し、妻の権利保護に尽くした「進歩的」立場として高く評価される。しかし、穂積は必ずしも現代の核家族的な家族像を示したわけではなく、あくまで共同生活の実態がある単位=「世帯」を、その規模を問わず法律上の「家」とすることを主張し、さらにスイス民法331条2項が「僕婢徒弟使用人」=「家長の親族でない共同生活者」を「家」の成員とした規定をわが国でも適用すべきと論じている。共同生活単位を「家」とする穂積の「家」理解は、明治前期以降その「喪失」が嘆かれていた主従間の情誼的家族的要素を包含するという意味で、伝統的な「家」観念に通底するとともに、社会的実体の法規範化であり民法の「家」の実質化であった。これは、国民再統合という当時の課題に応えるものであったとの結論を得た。
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