本年度はH25年に引き続きGHQ占領下の沖縄人と朝鮮人の政治的な連携の可能性について調査と考察を行った。 具体的には、在日朝鮮人研究の先行研究をもとにGHQおよび日本政府の対朝鮮人政策を調べ、「第三国人」「非日本人」といったラベリングが当該時期の在日朝鮮人、沖縄人コミュニティの「生存権」の模索に与えた影響を検討した。関連して、当該時期の朝日新聞大阪版の紙面を調査し、1948年から1950年にかけて北朝鮮国旗掲揚問題、阪神教育闘争、ドブロク作成集落の急襲といったトピックを通じて朝鮮人が「騒乱」の原因として日本社会で表象されていた実態を確認した。 また、1970年代後半に阪神地域にて沖縄出身者を対象に行われた聞き取り調査の結果を再分析し、敗戦直後の生活状況(職業・集住状況)を明らかにするとともに、闇市場における朝鮮人や台湾人との協働・競合の側面を調査した。 これらの研究より以下の点が明らかとなった。 ①関西地域では戦前から沖縄人と朝鮮人を類似視する風潮があり、戦後も日本社会の一部に同様の傾向がみられた。②在日沖縄人が沖縄の日本「復帰」を意識する時、「外国人」/「日本人」という二重の身分から生存権を主張する朝鮮人の状況と、それに対するGHQ・日本政府の弾圧という同時代的な要因を考察する必要がある。③故郷から切り離された在日沖縄人、朝鮮人は闇市場や闇商売を主な生業の場とするなど共通点も多く協働する側面も存在したが、限られた社会資本をめぐる競合関係、沖縄人側の一部に存在した対朝鮮人の蔑視意識など、GHQ下の「非日本人」というカテゴリーでは捉えきれない側面が存在する。
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