ドイツでは第1次大戦の勃発による戦時経済への移行に伴い大量失業が発生し、各都市ではその対応策として順次、戦時失業扶助が導入された。ライヒ政府は当初、失業扶助に対して消極的であったが、1915年より戦時福祉事業の一環として戦時失業扶助にはライヒ補助金が投入されることとなった。だが、その後も運営は各都市に委ねられ、ライヒの関与は財政支援にとどまった。本研究では、都市失業扶助の概括的把握を行い、ハンブルクの事例研究を通じて、大戦期の「社会都市」は、19世紀末以来の扶助の組織形態を継承しつつ戦時の社会情勢に即した失業扶助を展開させ、それを通じてワイマール「社会国家」の基礎を築いたことを明らかにした。
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