1950年から1965年にかけて、台湾政府は米国援助資金を電力業に集中的に投入するとともに、化学肥料産業やセメント産業などへの設備投資を行った。米国援助資金の導入は単に生産能力の拡張につながったわけではない。例えば、セメント産業は米国援助資金を利用して生産能力を飛躍的に拡張したが、その過程は公営企業の民営化および民営企業の新規参入と同時進行であった。公営企業の民営化はやがて台湾資本市場の確立に寄与し、新規参入した民営企業は設立直後の台湾証券取引所の主力銘柄となった。米国援助打切り後の台湾経済は、援助打ち切り前に導入された市場要因によって持続的成長を遂げることができた。
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