マックス・ヴェーバーは世界宗教の神義論問題を検討する中で、儒教の神義論問題にも目を向けた。それによれば儒教では、君子と大衆とを区別する身分倫理と、平等ゆえに自己責任を求める応報倫理とが結合している。その神義論は、君子を宿命に耐える精神へ、大衆を自助努力へと駆り立てるだろう。しかも儒教では、究極的には大衆の営利行為ではなく、君子へ向けた人格陶冶が理想とされるのである。『儒教と道教』における読書人の境遇をドイツ教養市民層と重ねる比較の視座は重要である。その視点から本研究では、ヴェーバーが儒教の神義論問題を通して、官僚制化を促進する特権者優位の神義論の社会的機能に着目していたことを明らかにした。
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