最終年度は、熊本県芦北町大字女島の水俣病多発漁村で行った社会学的調査と2010-2011年の医学的調査を発展させ次の取り組みを行った。背景には熊本県衛生研究所が1960-1963年に不知火海沿岸住民の毛髪水銀値を調査した結果と、70年から原田正純らが収集した不知火海沿岸住民の臍帯メチル水銀値、健康調査結果が残されているにも関わらず、水俣病被害者救済策に用いられることなく未だ「水俣病とは何か」が議論されているためである。 本研究では、この調査結果をもとに女島の地域における毛髪・臍帯水銀値結果を抜粋し今回の医学的調査で得た臍帯水銀値を測定者ごとに分類した。その上で社会学的調査で得られた補償救済状況や漁業状況、原田らの76年健康調査カルテと今回の医学的調査結果を重畳的に検討し次のことを明らかにした。(1)認定患者と未認定患者の34年後の健康障害の経過と医療福祉のアクセス状況(2)認定後は水俣病という病を総合的に経過観察されず福祉サービスにつながっていない現実(3)生業や有機水銀曝露と健康障害との関連(4)認定制度・各種補償救済状況との乖離を明らかにした。成果の一部は日本公衆衛生学会で発表した。さらに比較対象地である水俣市茂道の社会学的調査を開始した。これにより漁民被害の一端を明らかにした。 本研究計画の課題として「水俣病の多様性と漁村における社会関係の解明」「地域の固有性の展開と水俣病」を掲げており実証的調査は達成できた。芦北の漁村集落の固有性が水俣病被害の現出形態に作用したこと、また襲来した水俣病がどのように地域に社会的形成の影響を与えたのかは漁民被害と漁業被害の区別と連関において明らかにした。これは現在とりまとめ中の論文において公表する。 なお村落共同体や漁民被害を比較検討するためには、さらに時間をかけた社会学的調査、医学的調査が必要であるという課題も残ったことを付記しておく。
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