本研究「賀川豊彦と同労者の社会事業にみる地域協同モデルの検討」は、神戸のスラム街で開始された賀川豊彦の社会事業が、大正・昭和期の時代背景のなかで同労者とともにどのような形で発展・展開していったのかを検討してきた。議論の枠組みとしては、明治期の典型的慈善・感化救済事業であった彼らの取組が(とりわけ各種協同組合の設立を中心とした)地域住民主体の防貧的アソシエーション形成へと展開するに至る理由について、国内同時代思想からの影響などを踏まえて確認することになった。賀川研究においては、キリスト教宣教史からの歴史分析が中心となっていることもあり、「救貧から防貧へ」や「セツルメント運動」「協同組合運動」といった社会実践に対して、賀川を単独者として理解しがちであるが、これらが国内の基督教社会事業に限定されないボランタリーな諸活動や国策などとの間でどのような位置関係にあったのかなど、研究上の多くの収穫を得ることができた。また、神戸・大阪・東京の三都市における賀川ミッションの事業展開を比較する視点は、同労者の実践における偏差という角度から賀川豊彦の思想上の変化を時系列的に検討させる適切なものであったということも再確認した。本研究においては、関東大震災が賀川同労者の実践における新たな段階を生む極めて重要な位置にあるという作業仮説を前提に、東京本所の同労者たちの取組が賀川本人の思想や実践の青写真を超えたものであり、後期の賀川思想において協同組合運動が中核になったのは、本所同労者の実践がフィードバックされたものであることが指摘できる。賀川が、同時代欧米の社会事業実践の一方的移入ではなく、アメリカ遊説における「協同組合を世界に」といった日本初の社会経済構想を提示し得た理由が震災後の同労者実践に深く影響されていることなど、賀川思想の変遷を同労者の実践の視角から論証していく本研究は、十分な成果を得られた。
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