三年間の研究期間の間に戦災復興都市16都市(東京、郡山、宇都宮、福井、富山、大阪、堺、和歌山、熊谷、長岡、敦賀、神戸、台北、基隆、花蓮、台東)を実際に訪れて予備調査を行った。予備調査から、東京、郡山、福井、熊谷、和歌山、敦賀、台北、基隆についてはさらに文献史料を集め、詳細に調査を行った。調査の上で、敦賀が都市カーネルの理論化のためには重要な事例となった。敦賀の中心街は第二次大戦末期の空襲で焼け、焼失した区域に戦災復興事業がそのまま適用された。この戦災復興事業は、現在の中心市街地振興政策と、区域が一致し、空襲によって偶発的に発生した区域が、現在の都市計画にも大きな影響を与えている。また、近代以前に、気比神宮を中心とした門前町、そして湊を中心にして形成された街は、空襲によって焼失することがなかったので、今でも舟溜り地区として、まちづくりの中核となっている。しかし、都市の経済状況、またSpace Syntaxを用いた解析からは、街の中心街はすでに郊外へとシフトしており、このような戦災復興地区と舟溜り地区に固執する計画は、都市カーネルによってのみ説明される。このことは、第一報としてSpace Syntaxのシンポジウムに投稿の上、採択され発表した。これに行政の指針も含めて細かく記述した論文は、研究期間には間に合わなかったが、投稿準備中である。 また、空襲で失われた街の記憶を、映像と音声でアーカイブする作業も本研究の目的であった。空襲、戦災を体験した街を舞台に映画を撮りつづけている大林宣彦監督のティーチイン。福井空襲の体験を映画として紡ぎだした吉田喜重監督のインタビュー。空襲前の福井の思い出を囲んで当時のことを知る人たちがかつての福井を思い起こすイベントも映像として記録した。イベント映像や地域の活動の様子は短編映画「君がいた街」として製作し、地域住民を対象に公開した。
|