日本近代都市計画史において「戦時下」という時代は、都市計画技術が植民地都市も含めて飛躍的に進歩し、戦後都市計画の原型を形成したという点で重要である。戦時下の軍需工場の建設は重要な課題であり、それに対応した新興工業都市計画が全国各地で行われた。本研究では、新興工業都市に指定された23地区ならびに同レベルの計画が策定された新興の工業都市を対象に包括的な研究を行った。戦時下の新興工業都市計画には、防火ブロックや国民学校区といった計画単位が用いられていたことが明らかとなった。これらの計画単位は、戦後の都市計画にも継承されており、日本の都市計画の原型を探る上でも重要である。
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