本研究は、元三田藩士である小寺泰次郎に着目して、近代神戸の都市形成過程の一端を明らかにすることを目的としている。明治維新後に土地売買やその所有の自由が許可されたことを機に土地は不動産としての価値を持ちはじめ、投機目的で土地を買い占める新たな資産家が登場する。開港直後の神戸では、移住してきた多くの元三田藩士らが雑居地内の土地を取得し財を築いたことは良く知られているが、実際に彼らが取得した土地の分布やその変遷については明らかになっていないことが多い。 明治6年、元三田藩主である九鬼隆義は家臣らと共に、神戸最初の輸入商社である「志摩三商会」を神戸栄町3丁目に設立する。志摩三商会は、外国の医薬品や食料品などの販売の傍ら多くの土地を買収し、その投資により巨額の資本を得ていた。その実質の経営を任されていたのが小寺泰次郎である。後に小寺泰次郎は九鬼隆義と共に神戸の最大の地主となる。 今年度は昨年度に引き続き、小寺泰次郎に関する文献収集を行い、神戸移住後の小寺泰次郎の動向を把握した。また、神戸市立博物館や神戸市立図書館等に保管されている明治21、22年の地籍図を用いて当時の小寺泰次郎所有地の分布図を作成し、法務局保管の旧土地台帳に記載されている小寺泰次郎名義の土地情報との比較作業を行った。以上により、小寺泰次郎の所有地経営や政界での動きが、明治期の神戸の都市形成に少なからず影響を与えていたことが明らかになった。今後は引き続き、九鬼隆義や志摩三商会の社員であった他の三田藩士たちに着目して研究を進める予定である。
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