「安全・安心」は、現代日本の産学官におけるキーワードの一つとして定着している。安全・安心の必要性が語られる領域は、犯罪・テロ、事故、災害、戦争、科学技術、医療、食品、経済、行政、環境問題など多様である。本研究は、日本の政策や制度における「安全・安心」言説の用いられ方に見られる共通の構造と欠けている視点を明らかにした。「安全・安心」言説が、90年代の行政の構造改革や、社会問題化した事故や事件と連動される形で多用されるようになってきたことは、いくつかの分野によって指摘されている。そこでは、安全・安心を担う主体として「市場」と「コミュニティ」の活用が推奨される。たとえば、食品や医療、原子力などの科学技術をめぐる問題は、専門家と市民(消費者)の間にある「かい離」を、信頼の構築やリスクコミュニケーションなど(市場の)取引で埋めていくことが重要であると説かれる。一方、防犯や防災の分野では、自助や公助では行き届かない問題に対し、コミュニティによる「共助」が必要であると説かれる。しかし、「市場」と「コミュニティ」は両者とも、「行政機能の縮小・撤退」の代替として推奨されているという点では、同じ構造を持つ。一方、「安全・安心のため」という名目で管理や監視権力の拡大も同時に起きているが、それそのものが「安全・安心」を脅かす要因となっていることへの言及が、「市場」や「コミュニティ」による「安全・安心」の文脈で語られることが多くない。「安全・安心」のためのコミュニケーションやネットワーク形成だけではなく、その背景にある人権や権力の問題にも同時に取り組んでいくことが、今後、安全・安心を議論していく上での課題となる。
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