近代的演奏会(公共演奏会)は市民社会の台頭と共に現れた。それまで教会や宮廷を主な舞台としていた音楽は、入場料収益を前提とし、演奏会専用のホールで開催される公共演奏会を舞台とするようになったのだ。そこに介在したのは、まぎれもなく商業主義であっ た。本研究は、この「近代的演奏会」の成立の過程と変遷を検証することにより、作曲家の創作活動が、実際には音楽マーケットと不可分な関係にあることを実証するものである。 演奏会用序曲の楽譜出版は、多くの場合、オーケストラスコアにさきがけてピアノ連弾版でなされたことが判明している。これは家庭音楽としての受容の実態を示すものとして重要だ。つまり、本来オーケストラ作品である演奏会用序曲が、オーケストラ作品としてよりもまず、ピアノ連弾用作品として市民に提供されていたのである。この受容実態の解明をすすめるうち、出版や消費に都合のいい作品、つまり、長過ぎず(印刷出版の経費が抑えられ、またディレッタントが無理すること無く自分で弾ける)、演奏するのに難しすぎず、なおかつ演奏効果が高い(演奏技術が簡便でありつつ本物(演奏会場でのオーケストラ演奏)の再現力が大きい)という作品が巧妙に選ばれていることがわかった。 この事実は現代社会においても同様ではないかと考え、日本における西洋クラシック音楽の消費実態(受容実態)を明らかにすべく、CDの製作数、売り上げランキング、音楽批評誌における評論・評価の相互連関について調査した。結果としては、音楽批評誌での評価に著しい偏り(作曲者への偏好)があることがわかり、しかもそれが一時的にではあるが、売り上げに大きな影響を与えている事がわかった。一報で、製作には明確な連関を認めることができなかった。さらに英、独、米等諸外国の事情も比較考察した結果、それぞれ異なるバイアスで価値判断をおこなってきている事実が明らかとなった。
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