研究課題/領域番号 |
24820021
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
中西 竜也 京都大学, 白眉センター, 特定助教 (40636784)
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研究期間 (年度) |
2012-08-31 – 2014-03-31
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キーワード | 東洋史 |
研究概要 |
本研究は、中国の政治・社会・文化・思想との対話を通じておこなわれてきた、中国ムスリムによるイスラームの再解釈――イスラームの「中国化」――が、前近代から近代への移行にともなって、どのように展開したかという問題の解明を目指すものである。より具体的には、民国期の代表的な中国ムスリム思想家、馬良駿(1957年没)と達浦生(1965年没)が、中国の近代化や中東のイスラーム改革思想に応答しつつ、伝統的中国イスラームをいかに継承・変化させたかを問うものである。 本年度の成果についえ言えば、第一に、単著『中華と対話するイスラーム――17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』を刊行した。これによって、イスラームの「中国化」の、前近代における展開を全体的に跡付け、その近代的展開を考究するための確かな基礎を築くことができた。とくに、本研究にとって重要な意味をもつのは、同書第5章(書き下ろし)の議論である。馬聯元(1903年没)のアラビア語著作から、中国ムスリムの現実を見すえた、彼の「聖戦」論を析出し、それを、劉智(1724年以降没)『天方性理』などにおけるイスラームの再解釈のあり方と比較して、イスラームの「中国化」をめぐる前近代的展開の中に位置づけた。結果、イスラームの「中国化」の近代的展開を考察する糸口として、「聖戦」をめぐる馬聯元から馬良駿・達浦生への思想史的展開を分析するという視点と、その分析のための足場が得られた。 第二に、馬良駿の著作で未入手のものが、多く民間に現存することを、現地調査によって確認し得た。馬良駿に関する今後の研究にとって、貴重な一歩となった。 第三に、現代中国において流布するアラビア語・ペルシア語文献についても、現地調査を通じて新たな知見が得られた。中国ムスリムが読んでいたアラビア語・ペルシア語文献の情報が得られたことは、彼らの思想を扱う上で極めて重要である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
『中華と対話するイスラーム』執筆の結果、「聖戦」をめぐる馬聯元から馬良駿・達浦生への思想史的展開を分析するという視点と分析の足場が得られたことは、本研究にとっての大きな前進であった。しかし、馬聯元と馬良駿・達浦生の「聖戦」論のあいだの差異が、いかなる背景によるものかという問題の多角的検討に、本格的に着手するまでには至らなかった。原因は、単著執筆に予想以上の時間を要したからである。ただし、イスラームの「中国化」をめぐって、馬良駿・達浦生にいかなる近代的展開が見られるかという問題の分析の糸口を得るまでには、相当の時間がかかることは、当初より予想していた。したがって、研究の遅れは想定の範囲内であるといえる。
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今後の研究の推進方策 |
当初の計画では、達浦生『伊斯蘭六書』と劉智『天方性理』の比較から、前者におけるイスラームの「中国化」の近代的あり方を探る予定であった。しかし『中華と対話するイスラーム』の執筆によって、イスラームの「中国化」をめぐる、劉智から馬聯元への展開の様相が明らかになった。したがって、達浦生と馬聯元のあいだの思想的展開の様相を探ることで、劉智から馬聯元を経て達浦生に至る思想的展開の様相を解明することができるようになった。そこで、次年度は次のような研究をおこなうことにする。 まず「聖戦」をめぐる馬聯元の論述と、馬良駿・達浦生の議論とのあいだに、差異・展開をもたらした思想的背景を考察する。そのために、馬良駿・達浦生が参照していたと思しき、アラビア語・ペルシア語文献を精査する。 また、当初の計画にしたがって、馬良駿の著作と伝えられる『七篇要道』と、楊保元(1873年没)の『綱常』との比較からも、イスラームの「中国化」の近代的展開を模索する。
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