この研究課題は、一九四〇年代から九〇年代に至る台湾文学におけるモダニズムの生成と変遷を考察したものである。戦後の台湾で夏済安(1916-1965)、白先勇(1937-)、王文興(1939-)などの外省出身の知識人と作家を中心に形成された台湾モダニズム派の創作の一部は、八、九〇年代の戒厳令解除前後に現われた舞鶴(1951-)などの「本土モダニズム」作家に引き継がれたと考えられる。しかし本省人作家である舞鶴の創作は、オーセンティックな中国人として白ら外省人たちが創作したような一九三〇、四〇年代中国への懐郷とディアスポラ的テーマ性は持たず、むしろ遡及すれば呂赫若(1914-1951)や龍瑛宗(1911-1999)、そして坂口れい子(1914-2007)といった日本統治時代の文芸誌『台湾文学』で活躍した台湾リアリズム作家が描いたテーマを継承している。たとえば舞鶴の創作には呂の「風水」や坂口の「霧社」というテーマが看取されることが指摘できる。 このように、戦後から六〇年代に至る台湾におけるモダニズム文学の生成を考察する中で、四〇年代に『台湾文学』を創作母胎とし、「霧社」や「蕃地」をテーマに多くの小説を発表した作家坂口れい子の存在が浮かび上がった。 本研究は新しく発見した坂口れい子及び台湾文学に関する資料を用いて、坂口が一九四〇年代に楊逵(1906-1985)や呂、張文環、楊千鶴といった台湾作家、オビン・タダオ、ピポ・ワリスなどの霧社事件の「餘生」(生き残り)、矢野峰人、工藤好美ら日本の知識人らと積極的に交友し接触した事実の一部を明らかにした。坂口はこうした交友と接触を通じて、自身の創作テーマを形成してきたことが分かってきた。この研究成果は台湾文学の生成の一端を明らかにするうえで重要な意義をもつ。また本研究を通じて収集した新資料によって、今後は台湾文学及び坂口の文学研究をより具体的な事象にそくして展開していくための基盤が整ったと考えている。
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