東地中海最大の島キュプロスは青銅器時代からギリシア人・フェニキア人の居住地となっていた。また古典期には、アカイメネス朝ペルシア帝国の領土となり、同時にギリシア本土のアテナイ・スパルタも攻略に興味を示した。本研究はこれら多様な外部からの影響にたいし、ペルシア帝国期キュプロス島の社会・文化がどのような反応を見せたのかを考察した。その結果、ペルシア帝国は同島の支配にかなりの譲歩を見せたこと、ペルシア帝国と島内勢力との間の構造的な同盟関係は認められないこと、前4世紀に島内にギリシア文字が導入されたが、このことがとくに島外人からキュプロス島民が「ギリシア人になった」と評価されたことなどを明らかにした。
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