本研究において得られた結論は、以下の通りである。清朝末期の中国は、在外領事や商務委員などの在外機関を通して、西洋伝来の領事裁判制度をできうる限り導入し、海外(特に周辺国)において領事裁判権を行使しようとした。ただ、司法管轄権を含む在外華人の取り扱いは、彼らが在留するそれぞれの地域・国家と中国本国(清朝)との関係性の相違によって異ならざるを得なかった。そして、条約締結や戦争などを契機にその関係性に変化が生じると、中国政府の在外華人に対する取り扱いも変化することになった。日清戦争以前においては、「属国」と見なす朝鮮に住む華人には、ほぼ躊躇なく属人的な司法管轄権が行使され、修好条規によって「対等」とされた日本に住む華人には、対等関係の象徴として獲得し維持された領事裁判権が行使された。朝鮮と同様に「属国」と主張されたベトナムについては、清仏戦争を契機にそこに住む華人の取り扱いがにわかに注目され、清朝は「属国」を理由に朝鮮と同様の属人的な司法管轄権(領事裁判権)の行使を、ベトナムの保護権を得ていたフランスに求めた(むろんフランスは拒否し、実現しなかった)。当初「対等」であった日本についても、日清戦争の敗北によってその関係性に変更が生じた結果、保有していた領事裁判権を失うことになり、在日華人の取り扱いも変更せざるを得なくなる。また、同じく日清戦争によってその「独立」を認めることになった朝鮮については、「属国」ではなくなったものの、「対等」関係となったことを根拠に領事裁判権の相互承認を要求し、それを認めさせることで、在韓華人に対する清朝の属人的な司法管轄権は、日清戦争以前と同様に維持されることになった。 本研究で得られた成果を著書『近代中国の在外領事とアジア』としてまとめ、平成26年度科学研究費助成事業(研究成果公開促進費)にすでに採択され、当該年度中に公刊する予定である。
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