キリシタン墓地の調査としては、大分県豊後大野市犬飼町栗ヶ畑亀の甲墓地調査と臼杵市野津町神野家墓地のを踏査し、臼杵市下藤キリシタン墓地に存在する石組遺構と伏碑を確認した。とくに神野家墓地では伏碑の上にのちに近世墓石が付加されたきわめて特異である。昨年石組遺構の存在を確認した豊後大野市岡ナマコ墓遺跡の実測調査をおこない、20基以上の伏碑を確認し、仏教施設を破壊したうえでキリシタン墓地が設けられている状況を記録した。伏碑の型式の類似から見て近世17世紀初頭の墓地と推定された 中国人墓地の調査としては、京都府宇治市黄檗山万福寺で1世隠元和尚墓から4世獨湛和尚墓を見学し、いずれも墓碑の背後に墳丘と半円形の外周施設、墓碑前面に前庭を有する華南様式の墓地であり,1660年代から1700年ごろに作られたことがわかった。さらに京都市嵯峨野二尊院墓地では18世紀の伊藤仁斎・東涯父子の墓地を調査し、周辺の儒教墓にまで華南様式の墓地の影響が認められることを確認した。 長崎市悟真寺唐人墓地の実測調査をおこなった。17世紀代の銘のある唐人墓碑の実測調査を完了。最古の唐人墓の一群の中にキリシタン墓碑に類似する墓碑があることを確認し、唐人墓以前にキリシタン墓地が存在した可能性が高くなった。あわせて長崎市菩提寺唐人墓を踏査し、呉三官墓の立碑の石彫が玉名市の肥後四官墓碑によく似ていること。年代も同じ1619年で両者が本邦現存最古の唐人墓であることを確認した。鹿児島南さつま市坊津泊唐人墓は中国漆喰製の墓地であが、形態は華南様式の範疇に入る。 唐人墓の型式が中国福建省に遡源する華南様式の墳墓であることを実測資料によって提示し、1619年を最古に17世紀に九州から関西まで分布することを確認した。長崎悟真寺ではキリシタン墓地から変化した可能性を指摘し、長崎においてキリシタン墓と唐人墓が接点を持つことが判明した。
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