平成25年度は、東京大学大学院法学政治学研究科に学位請求論文として「戦間期オランダの議院内閣制―議会外内閣の機能と限界」を提出し、3月にPh.D.を得た。 このうち、本年度明らかにした部分は、カトリック・サブカルチャーの戦間期オランダ議院内閣制に対する影響が1930年代の世界恐慌に直面してどのように変容したのか、という点である。 オランダに限らず、宗派サブカルチャーは概して①その内部に多様な経済利益を包摂すること、②キリスト教思想が階級協調的な主張を含んでいること、により階級対立を緩和する機能を持つと考えられている。他方、党が宗派サブカルチャーから経済利益をどのように掬い上げるのかについては、なお研究の余地がある。 戦間期オランダのカトリック党RKSPは、大恐慌以前までは多様な経済利益を表出しないことによって、サブカルチャーの分裂を抑制していたが、1930年代なると、カトリック思想に基づく明確な経済政策を打ち出す必要に迫られた。RKSP内部では、サブカルチャーの統合のために、これまでのように経済政策を党の方針として打ち出すべきでないと考える勢力と打ち出すことによって統合が図られると考える勢力が対立していた。1936年に後者が主導権を握り、労使の産別組織化(秩序化)、金本位制からの離脱、失業対策などを党の公式の立場として表明した。この過程は、労使をはじめとするサブカルチャー諸組織からの圧力というよりも、カトリック有権者の動向を政党組織を通じて情報収集した結果ということができる。 1936年までは、政権に参加し経済政策の一端を担うよりも、政権に人員を送り込みつつも野党的立場で政府を批判する(議会外内閣)方が選挙の面で有利と考えられたが、1937年選挙では経済政策を主眼とする綱領を掲げた以上、政権に参加し、政策を実現する方が有権者から支持されると理解され、議会内閣が復活した。
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