本研究課題の最終年度である平成25度は、前年度の英国調査で収集した一次資料をもとに、分析を行った。また、国家と大学の関係に着目しながら高等教育史の研究を行っているK.ヴァーノン博士(セントラル・ランカシャー大学)を訪問し、教養教育が支配的であった当時のイングランドにおいて技術・専門職教育が受容されていった社会的背景について、聞き取りを行った。明らかになった点は以下のとおりである。 1900年代にイングランドの地方都市に設立された市民大学では、その地域のニーズに沿って工学士や商学士、農学士、建築学士など新たな学位が創設された。新たな学位の試験においては、それまでのような幅広い知識を問うものから、より専門的で詳細な科目が課されるようになった。 新たな学位が創設されたことにより、大学補助金諮問委員会における「大学水準の教育」の定義は、国庫補助金交付開始当初の「技術教育ではないアーツアンドサイエンス教育」から、「アーツアンドサイエンスを含む十分な教育」へと変化した。つまり、技術教育であっても、十分な水準が保たれていれば、大学教育として認められるようになったのである。このように、アーツアンドサイエンスが核であることは維持されつつ、大学教育の概念が拡大した。 これに伴って質保証の方法にも変化がもたらされ、それまでのような政府の補助金諮問委員会による視察だけではなく、各大学間での相互チェックが導入された。両者は、相互補完的に連関しながら質保証としての機能を果たしたと考えられる。
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