淡路人形座における人形遣いたちの稽古場面に立ち会い、身を投じた彼らのやりとりを記述することで、知識伝達のあり方を根本的に見直し、新たな「学び」のありようを提示した。具体的には、①メルロ=ポンティが展開した哲学的身体論が、わざの伝承場面において生じているミクロな出来事の意味を理解するための足がかりになることを明らかにした上で、②教え手と学び手との間には、行為の模倣や同調といったやりとりが意図的あるいは非意図的に繰り返されており、こうした微細なやりとりそのものに目を向けることによって、「わざ」の伝承を、当事者たちの創意工夫を伴った、相方向的に遂行される生き生きとした営みとして捉え直した。
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