研究課題/領域番号 |
24830093
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
近藤 和貴 早稲田大学, 政治経済学術院, 助教 (70434214)
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研究期間 (年度) |
2012-08-31 – 2014-03-31
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キーワード | 政治学 / 政治哲学 / 政治思想史 / 西洋哲学 / 西洋古典学 / ギリシア哲学 / 倫理学 / クセノフォン |
研究概要 |
本研究全体の目的は、ソクラテスの正義論が彼の生に内在する哲学的生と政治的生との対立を調和する原理であることを、クセノフォンの著作の読解によって証明することである。24年度は、ソクラテスの生に内在する対立を明示的にすることを目的とした。具体的には、彼の生の中に、一方で既存の都市規範をラディカルに批判することを通じて自己陶冶をはかる個人主義的かつ共同体超越的な哲学的生と、他方で市民たちの慣習に従いつつ共に生きることを通じて彼らに善き生をもたらす他者志向的かつ共同体帰属的な政治的生との対立があることを論証することである。この目的を達成するために、クセノフォン『弁明』のテキスト解釈を行った。 研究方法としては、対話篇の演劇的特徴に着目した読解方法を用いた。これによって、場面状況に応じたソクラテスの巧みな対話の流れを明確化し、クセノフォンのソクラテスがもつ道徳的ラディカルさと、そうした批判精神をもちながらも市民たちに彼らの目線からアプローチする彼の対話の巧みさを浮き彫りにした。 研究の結果、以下のような成果を得た。従来の『弁明』研究において、ソクラテスは哲学的深遠性のない通俗的モラリストであり、ただ老齢の厭わしさを免れるためだけに陪審員を意図的に挑発し死刑になったとされてきた。本研究では、ソクラテスの目的は死ではなく、自己の名声を市民たちの間で高めること、すなわち、市民的観点からみて優れているとみなされる要素をレトリカルに強調していることを発見した。ソクラテスには本来的に都市の価値をラディカルに批判し、それによって自己の生を陶冶していくという哲学的な生の在り方があるものの、『弁明』ではこの側面よりも市民的価値観に親和的な哲学者像の確立に重きが置かれていることが判明した。 なお、上記研究を深めるため、プラトンの著作におけるソクラテスの研究(『弁明』『メネクセノス』)も同時に行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上に示した通り、24年度の研究目的は、クセノフォン『陪審員に対するソクラテスの弁明』のテキスト解釈から、ソクラテスの生に内在する共同体超越的な哲学的生と共同体帰属的な市民としての生の対立があることを読み取ることであった。 クセノフォンのテキスト読解を行い、そこで得た研究成果としては、当初の計画通りであり、順調に進んでいるといえる。本研究が、これまでの先行研究に根本的な批判を加え、まったく新しいクセノフォン像、ソクラテス像を構築することを目指していたことを考えるならば、現在までの研究の達成度は大いに満足のいくものであるといえる。 ただし、研究を公表する仕方については、当初の計画よりやや目標を下回っている。一方で、国内における研究活動においては、おおむね計画通りである。当初、国内での発表を最低一回予定していたが、これ以上の発表回数を達成している。なお、内定決定以前にも本研究に重要な発表を行っている(「哲学者と名誉:クセノフォン『弁明』篇におけるソクラテスのレトリック」、西洋古典研究会、早稲田大学、2012年7月28日) さらに、当初の予定にはなかった論文投稿を行い、掲載が決定している。 他方、海外での研究活動については、当初の目標を下回った。本研究成果を英語論文"Reputation and Virtue"としてまとめ、当初の計画通りReview of Politics に投稿したが、審査の結果rejectされ、現在修正の上、再投稿の準備中である。 結論からすると、現在までのところ研究の進捗状況・公表の頻度・論文の執筆状況においては順調である。本研究を深めるためにプラトン研究を同時進行し、その成果も公表していることを考えれば、計画以上に「発展している」とも評価できる。しかし、英語論文という大きな目標については、未達成であり、論文の修正・再投稿にまずは力を注ぎたいと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
24年度の研究では、クセノフォンのソクラテスの生に内在する生の対立を明示的にした。25年度の研究目的は、ソクラテスの正義論こそが、こうした生の両義性を調和する原理であることを明らかにすることである。具体的には、彼の正義論が、他者の善き生を志向する利他主義と、他者と共に都市共同体の中で生きることを善き生とみなすシティズンシップ論の二点からなり、この二つの要素が、都市内在的な批判的共生者である市民哲学者としての活動の基盤であると論じる。この目的を達するために、クセノフォン『メモラビリア』のテキスト解釈を行う。 ただし、当初の計画では、こうした『メモラビリア』研究のみを行う予定であったが、24年度にクセノフォン『弁明』とプラトン『弁明』を研究するうち、『メモラビリア』の前に、あるいは同時に、クセノフォン『オイコノミコス』の研究をする必要があるのではないかと認識するに至った。 その理由としては、第一に、『弁明』で明らかにした生の両義性が『オイコノミコス』でも言及されている可能性があり、また、それが経済・軍事・政治活動・信仰など「良き市民」と哲学者の関係を考えるうえで重要なトピックに及んでいることである。第二に、『メモラビリア』で明らかにしようとしているソクラテスの正義論、あるいは市民哲学者の姿が、『オイコノミコス』で萌芽的にみられる可能性があることである。 端的に言えば、『オイコノミコス』は、本研究を遂行するにあたって『弁明』と『メモラビリア』を橋渡しする可能性がある。そのため、25年度では、『メモラビリア』研究の前にその検証を行いたいと考えている。 さらに、クセノフォン研究をより深めるため、プラトンにおけるソクラテスの研究、特に『弁明』の研究も同時並行で行う。
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