研究課題/領域番号 |
25244016
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
勝又 直也 京都大学, 人間・環境学研究科(研究院), 准教授 (10378820)
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研究分担者 |
市川 裕 東京大学, 人文社会系研究科, 教授 (20223084)
勝又 悦子 同志社大学, 神学部, 准教授 (60399045)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ユダヤ学 / 学説史 / 研究史 / 史料編纂 / 文献学 / 写本研究 / 多国籍 / 国際研究者交流 |
研究実績の概要 |
本研究の課題は、ユダヤ学の各研究分野における学問の営みを、研究が基づく「原典」との関係において捉えなおしたうえで、原典資料からの翻訳を通じて、ユダヤ文化を捉えるための視点の多様性を提示することである。 初年度の共同研究においては、学史研究に重点をおいて研究がすすめられた。まとまった形の研究報告として提示されたのは、歴史学・説教文学・神秘主義研究の各分野の先駆的な研究者たちがそれぞれどのような課題に向き合って活動を展開したか、という問題である。ディアスポラ社会のなかで伝承されてきたユダヤの伝統文献は、写本の水準において様々なヴァリアントを生み出さざるを得ない。ユダヤ学の研究の基礎にあるのは、こうした多種多様なヴァリアントを用いつつ、批判的に「原典」を再構成する、という営みであるが、それはしばしば、物理的には存在しない――つまり、写本の水準においては一貫したものとして存在しない「原典」の姿さえ描き出してしまう。研究が基づく「原典」それ自体が研究の所産であるという事実は、我々が普段自明のものとしている研究の基盤それ自体を一旦疑問に付すものだろう。 こうした問題は、研究計画の立案時点で予測されていたものであり、初年度の研究は我々の問題点を実際的に確認するという点に最大の成果があったといってよいだろう。研究協力者の地位の変化に伴って、予定されていたすべての研究分野において、学説史的な再検討が十分に行えたわけではなかったものの、研究報告とその後の討議を通じて、基本的な問題意識を共有することはできた。翻訳を通じて、我々がユダヤ文化を可能な限り学術的に明快な形で示そうとするとき、「原典」とははたしてどのようなものでありうるのか? 初年度に積み残された分野ごとの学説史的な検討に並んで、この問題を考究することが、研究第二年度の課題として明確に現れてきた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究初年度の課題は、ユダヤ学の営みを学説史的な視点から再検討することであった。研究報告としてまとめられたのは、ユダヤ史学、説教文学、ユダヤ神秘主義研究の各学説史であり、そのいずれにおいても、当初予想されていた基礎的な問題を確証することができた。つまり、ユダヤ文化の客観的な再構成を目指す研究の営みと、それが基づく資料との間にある、ある種の自家撞着的な関係である。 ユダヤ社会の特徴のひとつであるディアスポラという特性は、そこに一貫した歴史の存在を措定しうるか、という問題をつきつける。ひとつの「ユダヤ史」という構想それ自体がはらんでいるのは、特定の地域や政体、言語に収斂しないユダヤ人の文化をどのようにひとつのものとして捉えられるのか、という問題である。総論としてのユダヤ史の構想のみならず、ユダヤ文化研究の各論――たとえば説教文学研究や神秘主義文献の研究史上においても、やはり同様の問題がある。「説教文学」「神秘主義」といった研究領域のなかで言及される諸資料は、学問の営みのなかで、一定の観点から集積されたものであり、資料上の一貫性は、写本の水準においては必ずしも担保されているものではない。 ユダヤ学のすべての研究分野においてこうした問題の再検討を行うことまではもくろんでいなかったものの、研究協力者の地位の変化によって、各人の研究に参加できる時間が制約され、予定された研究領域すべてを網羅できなかった点には、やや忸怩たる思いがある。いくつかの研究分野において、学説史的な検討は研究第二年度に持ち越さざるをえなくなった。 それでも、基本的な問題はすでに明らかにされ、共有されている。我々がユダヤ文化をとらえる際、その文献的な基礎として何を据えるのか、という問題である。我々がそれと意識せずに用いる学術校訂版と「原典」との乖離を見定めたことは、今後の研究にとって大きな成果であった。
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今後の研究の推進方策 |
ユダヤ人がその歴史のなかで生み出してきた文献は膨大であり、これを研究するユダヤ学の視点もまた多様なものとなる。一つの研究分野においてさえ、主たる問題は決して一様なものではなく、平成27年度中に一定の成果に到達するためには、一定の視野の局限が必要になる。平成26年度は、タルグム、ミシュナ、ミドラシュ、タルムード、典礼詩、中世解釈、哲学、神秘主義の各文献群におけるメシアの描かれ方をひとつの導きの糸として仮設的に用いることを試みたい。原典資料における描かれ方の違いに加え、ユダヤ教のメシアニズムが各分野の研究史でどのような位置を占めるのかを考察してゆくことが本年度の当面の課題となるだろう。それぞれに論点の異なるユダヤ学の各研究分野に一定の繋がりを見出すためにも、こうした視野の局限は有効であるはずだ。 むろん、ユダヤ学の営みそのものは、ユダヤ文化におけるメシアニズムの解明にのみ局限されていたわけではない。本年度の課題として設定したメシアニズムは、あくまで仮設的なものであり、膨大な文献の海のなかから、ユダヤ文化とそれに向けられた眼差しのすがたを浮かび上がらせるための視点のひとつに過ぎない。ユダヤ学の研究領域の各分野における学説史的な再検討は、それとは独立して進められるべきものである。平成25年度に十分検討されなかったユダヤ学の研究分野については、あくまで初心に基づいて、当該の研究領域が何を問題にしてきたかを主たる論点に据える。 平成26年度の目標は、翌年に共同研究を一度まとめ上げるための視点を模索することである。世界各地の様々な歴史的条件のなかで展開されてきたユダヤ史とユダヤ学は、容易には一定のコンテクストのなかで捉えることができない。メシアニズムを足掛かりとして、ユダヤ学の各研究分野と、それが描き出すそれぞれのユダヤ文化を繋ぐ緯糸を見出してゆきたい。
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