研究課題/領域番号 |
25244038
|
研究機関 | 東亜大学 |
研究代表者 |
黄 暁芬 東亜大学, 人間科学部, 教授 (20330722)
|
研究分担者 |
吉井 秀夫 京都大学, 文学研究科, 教授 (90252410)
佐川 英治 東京大学, 人文社会系研究科, 准教授 (00343286)
鵜澤 和宏 東亜大学, 人間科学部, 教授 (60341252)
高橋 照彦 大阪大学, 文学研究科, 教授 (10249906)
惠多谷 雅弘 東海大学, 付置研究所, 技術職員 (60398758)
宇野 隆夫 帝塚山大学, 文学部, 教授 (70115799)
志賀 智史 独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館, 学芸部博物館科学課, 上席研究員 (90416561)
|
研究期間 (年度) |
2013-10-21 – 2017-03-31
|
キーワード | 東アジア文化圏 / 漢・六朝・隋唐時代 / 南京建康城 / 郡県都市 / 交趾郡治・ルイロウ古城 / ベトナム漢墓 / 日・中・越共同調査 / 国際学術交流 |
研究実績の概要 |
現在、東アジアの広範な地域が一定の文化的特徴を共有していることの根源を辿ると、二千年前に成立した漢帝国にいきつく。とくに古代東アジアにおける国家形成と世界観に影響を与えたのは、漢代に整備された郡県都市と墳墓の設計思想であった。本研究は、ベトナム北部、漢帝国の南端に設置された交趾郡治・ルイロウ古城と、墳墓の発掘調査を通じて、漢・六朝文化の広がりと在地文化との関係について明らかにすることを目指す。 【現地調査】今年度は、中国・ベトナムにおいて計18件の遺跡調査を実施した。なかでも大きな成果を得たのは、交趾郡治・ルイロウ遺跡第2次発掘調査で、遺跡・遺物の検証から交趾郡治建設初期の遺構をはじめて確認した。漢~六朝・隋唐期にいたる遺物も多量に検出されたことで、ルイロウ古城を中心に展開した中央と周縁の関係を通時的に明らかにするための端緒をつかんだ。 中国では、中央における都市設計、墳墓の構造に関する知見を得るため、漢唐古都西安から南京、四川、安徽、江西省にいたる広範な遺跡調査をおこなった。具体的には、秦直道、始皇帝陵園寝殿や漢長安城・渭河橋、蜀漢・六朝宮殿(成都)、前漢海昏侯大墓(南昌)、三国呉王墓(馬鞍山)、後漢彭城王墓(徐州)、晋代墓地等の発掘現場を調査し、さらに南京六朝古都と南朝陵墓を踏査し、情報を収集した。この広域調査により、中国各地で進展する発掘調査の最新情報を把握し、中央と周縁を比較するための知見の充実がはかられた。 【研究成果の公開】東京大学で国際学術シンポジウム『東アジア古代都市のネットワークを探る―日・越・中の考古学最前線』を開催し、予稿集を論集として刊行した。国外においても、南京大学で『六朝考古国際学術研討会』を開催したほか、ハノイではベトナム国家歴史博との共催より『ルイロウ発掘成果報告会』を開いた。このほか、日本考古学協会において2題の研究報告をおこなった。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
日本・中国・ベトナム3カ国間の共同調査と連携研究、また学際間の協力体制が円滑に機能している。中国漢-六朝古都と陵墓の実地調査、ベトナム交趾郡遺跡の発掘は当初計画をうわまわる進展を見せている。 【国際共同調査の新展開】中国では秦漢直道・渭河橋、始皇帝陵園、成都蜀漢宮城、南昌前漢海昏侯墓、徐州後漢彭城王墓、安徽三国呉王墓の発掘現場への実地調査と情報収集を行い、漢~六朝時代の中央都城と地方郡県都市の実態を考察する重要な資料が得られた。ベトナムでは、ルイロウ遺跡第2次発掘調査を実施した。六朝内城の規格が判明し、外濠遺構から前漢漆耳杯や磚瓦、陶片を検出した。この成果により、交趾郡治の建設時期が前漢期に遡ることが確認できた。また、古城東墳墓群の実測調査では、従来、後漢以降の円墳と考えられた大墓が前漢期の方墳だったことがわかった。さらに、ルイロウ内城中枢域からは金銅仏の残片が検出され、歴史上における仏教南伝ルートの検証にも貴重な資料が提供された。 【研究成果の公表】国内外における国際研究集会の開催、学会・学術誌の論文発表等を通じて、着実に研究成果の公表を行った。特に国内で1回(東京大学)、中国(南京大学)とベトナム(国家歴史博物館)でそれぞれ1回ずつ開催した国際学術シンポジウムには、第一線で活躍する国内外の研究者が参加し、最新情報の交換が行われた。またベトナムで開催した国際会議には関係研究者のみならず、政府管理部局、地域文化・スポーツ振興会や郷土愛好家、一般市民も参加した。ベトナム古代史への関心が喚起され、遺跡保護の重要性が市民レベルで確認されたことの意義は大きい。本課題調査、交趾郡古城の発掘成果について、テレビ・新聞等のメディアが大きな関心をよせて連日の報道もあったことから、本科研調査活動が目的の1つとする、学術調査成果の社会還元をつうじた国際貢献が果たせたものとして評価できる。
|
今後の研究の推進方策 |
当初の計画通り、中国とベトナムにおける実地調査と学際的共同研究を推進する。中国では、漢魏都城(西安・洛陽)、六朝古都(南京)と帝王陵墓、及び蜀漢(成都)や広西合浦等を代表として郡県都市と墳墓の実地踏査や情報収集を行い、漢~六朝時代における中央都城と地方郡県都市の実態を具体的に解き明かす。ベトナムでは、前年度に引続いて交趾郡治・ルイロウ遺跡の学術調査を中心に発掘と検証を継続する。2回にわたるルイロウ発掘では、内外の二重構造をもち、北方位重視という中国伝統的な方形城郭が判明した。また、内城東壁外側に城濠が見つかり、交趾郡治の創建期は想定よりも古く前漢期に遡った。特に地層学や出土遺物の型式学分析からは、当郡治建設のⅤ期区分と見てその相対編年も、前漢~六朝・隋唐前期にかけて機能していたことが判明した。 この成果に基づき、今後は、ルイロウ古城の全貌解明、城東墳墓の群分布探求を含む、交趾郡治・ルイロウ遺跡の経時変化を検証しつつ、漢~六朝・隋唐帝国の南端における郡県都市像の探究を目指す。主な研究課題は、出土遺物の考古学的、自然科学的分析を進めることである。 ルイロウ内城発掘では大量磚瓦建材、陶磁器や多数の金属器や冶金遺物などが検出し、陶磁製品や冶金技術の編年研究に関して重要な資料が得られているのみならず、これらの遺物はルイロウ官営手工業シスムの解明、交趾郡県都市における生産、流通経路を検証する格好な材料である。また、城内遺構からは竹木製品、漆器、動植物など貴重な遺物も検出されている。これら遺物の分析により、ルイロウ古城の環境復元研究も推進する。一方、城東磚室墓調査で検出した墓磚は、ルイロウ城内の出土磚瓦との共通性が見られるため、墳墓群は古城の盛衰と、緊密な関係にあったことが浮き彫りとなった。これから実施する磚室墓の調査と発掘を通して、ルイロウ古城と墳墓群の連関性を実証的に解明していく。
|