インフルエンザウイルスの抗原進化予測については、過去に流行したウイルス変異体の間のアミノ酸配列に基づく距離情報が、多次元尺度法によって低次元空間上の単純な進化軌道として表現されることが指摘されて以降(Smith et al. 2004)、新たな展開を見せている。本年度は、多次元尺度法で埋め込また低次元空間上でのウイルス進化軌道についての理論的な研究を進展させた。具体的には、インフルエンザ亜型の抗原進化の年次変化を(1)特定のウイルス株の流行、(2)宿主の集団免疫獲得によるウイルス抗原タイプに対する適応度地形の変化、(3)免疫エスケープ突然変異体の定着とその流行という3つのプロセスの連鎖として表現するマルコフモデルを構成した。このモデルを用いることにより、進化軌道の直線性や方向転換の原因やその生起条件を理論的に解明するとともに、次年度流行タイプの予測をベイズ更新過程として表現することが可能になった。
ウイルスの新しい亜型が出現した最初の年には、宿主に免疫がないため、新しい高原を持つ突然変異体の定着確率は、野生株からの免疫学的距離だけで決まる。このため、2世代目の抗原タイプは、野生株の抗原から一定の免疫学的距離の離れた等方的なドーナツ状の抗原空間上の領域からランダムに選ばれる。しかし、3年目の流行タイプは、1年目と2年目の流行タイプのどちらからも遠い方が免疫をエスケープして定着する確率が高くなるため、2年目の流行タイプから特定の角度方向に偏った領域で生起確率が高くなる。つまり2年目以降の進化軌道に特定の方向性が生じ、進路予想先の出現確率密度の雲が次年度流行タイプの予測域を限定する。この一定の方向性は3年目以降も維持される傾向が強かった。これが、抗原空間での進化軌道の直線性と進化予測可能性の原因であると示唆された。
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