平安時代に染色技術が向上し、公家装束に見られるように様々な色が表現されるようになった。その色の多くが植物染料であったと言われている。当時琉球は、中世のアジアの海を自由に航海が許されていた。その海の交易の中で、植物染料の蘇木を大量に購入した記事が残されている。今回の調査では、紅型には蘇木の使用がみられなかったことと、古紅型は顔料の他に、植物染料で色を変化させていたことが明らかとなった。 また、申請者所蔵の古紅型と那覇市所蔵の国宝紅型の写真照合の結果、同じ型で制作されたものである可能性が高まった。この分析結果から、この顔料は、1800年代前半に使用された顔料であったことが明らかとなった。
|