平成25年度、26年度に、次の点について明らかにした。a) 凍上に関し中谷がどのような研究を行なったか、b) 中谷がアメリカのTVA計画をどのように評価し、戦後日本の復興にどう活用しようとしたか、また原子力研究の開始をめぐる議論においてどのような立場をとったか、c)日本が1957年に南極観測を開始するにあたり、その態勢づくりに中谷がどのように関わったか、d) 氷に関する中谷の研究は、いかなる意味で、またどの程度まで「軍事研究」だったのか。 平成27年度には、これらの成果を歴史的・社会的文脈に位置づけつつ、一冊の書にまとめ、これまでとは違う中谷宇吉郎の姿を明るみに出した。すなわち中谷は、自然の神秘に魅せられ、その謎を解き明かそうと一途に取り組む、純粋な基礎科学者というよりも、社会的な問題に強い関心をもち、そうした問題の解決に科学研究の成果を活かそうとして、政治家や財界人とも交流する、きわめて「世俗的な」研究者だったのである。 平成27年度にはまた、海外調査も行なって、次のような点を明らかにした。一部は『報告書』としてすでに発表したが、一部は平成28年度中に別途、雑誌等に発表の予定である。a) 北海道帝国大学の「常時低温実験室」は、中谷の雪の研究のために設置されたのではなく、中谷の研究とは無関係に存在した「自然科学研究所設置計画」が転換して誕生したものである。b) 中谷宇吉郎による雪の研究とは独立に、積雪地方農村経済調査所(山形県新庄市)において、もう一つの雪の研究(水文学的な研究)が行なわれており、この潮流を無視してはならない。c) 中谷は同じような話題で複数の随筆を書いていることがある。その際、随筆が掲載される媒体や発表の時期(言い換えれば、世論の変化)を考慮して、力点の置き方を巧みに変えている。
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