研究課題/領域番号 |
25350379
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
小野 直子 富山大学, 人文学部, 准教授 (00303199)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | アメリカ / 優生学 / 大衆文化 |
研究実績の概要 |
本年度は,アメリカ合衆国において優生学的な言説や思想が一般大衆の意識にどのように浸透していったのか,そしてそれが1930年代を通してどのように変容していったのかを明らかにした。アメリカで優生学が普及したのは,既存の人種的・性的・私経済的階層制度を動揺させる恐れのある変化が起こっていた時期であった。ある程度の社会悪は遺伝的欠陥で説明することができ,生殖管理によって抑制することができるという優生学の思想は,研究者や慈善家,社会改革者などを惹き付けた。優生学的政策への支持を得るためには一般大衆に対する教育が必要であると考えた優生主義者達は,広範囲にわたる大衆文化に優生学の思想を吹き込んでいった。国際優生学会議の開催に伴ってアメリカ自然史博物館で開催された展示会や,州や地方自治体で開催されるフェアにおける優良家族コンテストがその例である。このような優生学の催し物には著名な科学者や医師の支援者がおり,科学的権威を付与していた一方で,優生学的な思想を一般大衆に視覚的に分かりやすく示す工夫がなされていた。1930年代になると,人間の性質や行動様式は遺伝だけでなく社会的・文化的要因とも関連しているということが科学者の間で認識されるようになり,遺伝学者や文化人類学者などから優生学の科学的根拠に対する疑念が示されるようになった。優生学運動の出現と並行して台頭した映画からは,優生学的思想が受容されているのと同時に,20世紀初頭の生物学的決定論の信憑性が失われていることを読み取ることができる。1930年代に優生学の思想は,断片的で曖昧でしばしば誤解された形で大衆文化の中で発展し続けたが,それは多くの点で,大恐慌によって人々が直面した,可視化された国家問題に対する対応でもあった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
依頼された報告や執筆のテーマに即して,アメリカ合衆国における優生学の思想の一般大衆への浸透や移民政策への影響についての考察を深める機会を得ることができたが,本研究の主要な課題である断種政策については断片的に触れることができたのみで,詳細な分析の対象とならなかった。
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今後の研究の推進方策 |
今後は,第二次世界大戦以降のアメリカ合衆国における断種政策の継続と変容の過程を,福祉政策,公民権運動,女性解放運動,患者の権利運動などとの関連から分析する。第二次世界大戦中は,医療関係者の不足等により,断種手術数は激減したが,大戦後再び増加した。また,断種の主対象は白人の「精神薄弱者」から,福祉受給対象者,特に有色人種のシングルマザーになった。それは,1950年代以降の連邦政府による貧困対策と福祉政策の拡充,公民権運動と有色人種の福祉受給権の拡大,女性解放運動における身体や生殖自己決定権の要求などの結果でもあった。他方で,女性やマイノリティの権利拡大や患者の権利運動の結果,強制断種に対する批判やそれに対する補償を求める裁判などが起こり,1970年代には連邦レベルで断種のガイドラインが策定された。断種はインフォームド・コンセントに基づいて,患者の選択によって行われることになったが,その後も特に貧困の女性に対する生殖の管理はさまざまな形で行われている。そこで,福祉政策が変化することによって断種の実態はどのように変化したのか,またそれに伴って貧困や福祉に対する概念がどのように変化したのかを明らかにすることが今後の課題である。福祉と断種政策の関係については他の国々においても指摘されており,他国との比較的視点も取り入れながら福祉と生殖管理の関係について考察する。
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次年度使用額が生じた理由 |
公務の増加と私的な事情により,予定していた史料収集のための出張に費やす時間をあまり取ることができなかった。
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次年度使用額の使用計画 |
今年度は,英文での原稿執筆のための英文校正と史料の収集,今後の研究のための情報収集や打ち合わせための旅費などに使用する予定である。
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