本年度は、王子脳病院の症例誌の分析の作業を進展させ、患者の語りとその医学的な位置づけの医学の世界の内側からの分析、そして患者の語りが昭和戦前期の社会・文化とどのような関係にあるのかという社会と文化に関連する分析を行った。その結果を、日本の学会などで3回、外国の学会などで4回にわたって報告した。 まず、精神医療の臨床において、精神病医たちは、患者のさまざまな語りを引き出そうとしていたことが重要である。精神科において問診はむろん重要であるが、問診の範囲を超えて、患者の長い語りを引出して、場合によってはそれを患者自身が書くように仕向けていたことがうかがえた。 一方で、精神病院への収容を患者が承服しない患者も数多かった。このような患者は、修養と監禁に対して抗議する語りを行い、いくつかのケースにおいては長い抗議文も執筆された。これらが症例誌に保存されている。 これらの患者による物語は、文化的には当時の私小説の概念などと連関し、社会的には社会主義思想や無政府主義などの当時の対抗的な政治思想とも関連があることが予想される。
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