東京朝日新聞、読売新聞、東京日日新聞、報知新聞、郵便報知新聞、中央新聞、時事新報、萬朝報、国民新聞、都新聞、二六新報、朝野新聞の12の新聞、および「野球界」「武侠世界」「角力世界」などの当時の雑誌から明治・大正期の大相撲八百長に関する記事を探索・蒐集した。 メディアを通して八百長の流行ぶりが公示され続けていた。八百長は「勘定相撲」として場所の後半に集中した。協会は、「申合規則」に (引き分け) 八百長をした者には「負け星を与える」、「内規」には「厭悪の勝負を為すべからず」とそれぞれ明記したり、そうした八百長行為に対する処罰を給金や番附に反映させたりした。検査役は、八百長事実を認めるコメントをしたし、新聞・年寄・力士のあいだで八百長のことが公然と口に出されもした。 角界は博徒と歴史的に密接な関係を持ち続けてきた。古くは、「通り者」と呼ばれる博打うちが相撲興行に関わっていた。そうしたなかで、力士は賭博に溺れ、その力士がとる相撲が賭博の対象となり、そして掛けで儲けるために相撲勝負に外部から圧力が加えられ、八百長が行われることもあった。 八百長を生み出す契機の一端は角界の組織風土に求められる。そうすると、八百長は、力士の身分・階級制度下での昇進・昇格・保身をめぐるもの、部屋・一門の紐帯が生み出すもの、情宜 - 人情・友愛 - から生まれるもの、協会の商策によるものに分類することができる。 こうした八百長としてのと兵法としての引き分けの区別はつけがたかったので、八百長をおこなった廉での力士の処分は、そうバサバサとはなされ得なかった。
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