研究課題/領域番号 |
25350727
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
西村 秀樹 九州大学, 人間・環境学研究科(研究院), 教授 (90180645)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 引き分け八百長 / 無能の分 / 故意の引き分け / 兵法 |
研究実績の概要 |
東京朝日新聞、読売新聞、東京日日新聞、報知新聞、郵便報知新聞、中央新聞、萬朝報、国民新聞、都新聞、二六新報、朝野新聞などの12の新聞、および「武侠世界」「角力世界」「野球界」「団団珍聞」「大相撲」などの当時の雑誌から明治・大正期の大相撲「八百長」「引き分け」に関する記事を探索・蒐集した。 当時は、1場所につき20を超える「引き分け」があった。このうち四つに組んで動けなくなってというパターンが大部分を占めた。こうした引き分けは、驚くことに横綱をはじめ上位力士に頻繁に見られた。明治34年に横綱になった大砲にあっては、1場所9戦すべてを引き分けるなどしたことから「分綱」と呼ばれた。そこで、この「引き分け」と「八百長」とのはざまが非常に微妙となった。引き分けには、「取り疲れて」あるいは「力が拮抗して」動けなくなった「無能の分」と、「大事を取って」の「故意の引き分け」があった。前者は「如何ともなす能わず」「互の施す術なく」「動かず動けず」の「本当の引き分け」「巧者の業」として賞賛されたのは納得できるが、後者も「致し方のない」「是非がない」相撲として肯定的に評価されたのであった。これは、四つになると、先に仕掛けた方が不利になるので「仕掛けぬ」が兵法の究極的理想状態とされたからである。とりわけ、上位力士は、「体面」を保つためには勝つことよりも負けないことが重んじられ、迂闊に仕掛けず引き分けに持ち込むことが特権化されていたのである。それゆえ、「引き分け八百長」との区別が不明瞭となった。「引き分け八百長」は、取り組む前から引き分けが決められていた場合、土俵に上がってから偶意・偶発でその気になった場合である。この区別をするためには、それまでの両力士の取組結果や当場所の星状況などを調べるとともに、当該取組をよく観察しなければならなかったが、それでも明言できない場合も少なくなかったのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
資料面では、80~90%程度蒐集できたし、引き分けは八百長か兵法かといった微妙な判定にも切り込むことができた。
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今後の研究の推進方策 |
資料蒐集を進めて行くとともに、八百長を黙認する風潮と八百長を肯定する説について考察して行く。
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