活水女學校2代目校長マリアナ・ヤング女史(以下、ヤング女史)が卒業したオハイオウェスレアン大学所蔵のWoman's Foreign Missionary Society(以下、WFMS)関連報告書が4種類確認され、1899(明治32)年~1901(明治34)年に開催されたThe South Japan Woman's Missionary Conferenceの議事録中に、3年間に渡って「Basket ball」を含んだ記述が抽出された。その中には、活水女學校からWFMSシンシナティ支部にバスケットボールを行うための施設や用具を要求している様子が窺え、ヤング女史は1901(明治34)年3月以前には、バスケットボールに関する書物を入手していた可能性が示唆された。さらに、1904(明治37)年11月発行のWoman's Missionary Friendに紹介された活水女學校生徒の文面に、「Basket ball」を含んだ記述が抽出され、活水女學校の生徒は、1904(明治37)年の11月以前にバスケットボールの存在を認知していた可能性が示唆された。このことは、バスケットボール発祥の地であるアメリカマサチューセッツ州YMCA国際トレーニングスクールを卒業後、我が国に最初にバスケットボールを紹介したとされる大森兵蔵の1908(明治41)年を先行するものであり、我が国のバスケットボールは、男子よりも女子の方が先に導入された可能性が示唆された。
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