最終年度は、論文執筆と史料収集で大きな成果があった。現在、岩波書店から『ロシア革命とソ連の世紀』全5巻の刊行が予定されているが、その第5巻『越境する革命と民族』に収めるべく、「反帝国主義の帝国:イスラーム世界に連なるソヴィエト・ロシア」という論考を執筆した。これは、革命家ハキーモフがオレンブルグ、タシュケント、ブハラ、マシュハド、ジッダと転任する軌跡の背後に、中央アジアのムスリム地域を再征服する内戦と反帝国主義のソヴィエト外交(モスクワを頂点とする非対称な同盟の構築)が継ぎ目なく連続するダイナミズムを読み取るものである。そして、そのダイナミズムを支えたソヴィエト政権の制度や実践が、実は帝政期の遺産に多くを負っていたことを明らかにした。この論文は2017年秋に出版予定である。 本研究の全体像をまとめるこうした作業から浮かび上がってきたのは、ハキーモフの中央アジア時代について研究を深める必要があるということである。とりわけ、帝政期に徴兵対象ではなかった現地民からどのように赤軍が作られたのかという問いは、本研究が今後展開しうる新しい方向性の一つを示している。このような判断から、3月にモスクワの二つの文書館(軍事文書館RGVAと社会政治史文書館RGASI)で調査を行った。2015年に出たAdeeb Khalidの著書Making Uzbekistanは、ソヴィエト政権成立における現地民の知識人の役割を強調するものであり、ボリシェヴィキの仲介者だったタタール人にはほとんど注目していない。今回の文書館調査で明らかになったのは、とりわけ1920-21年のブハラでは、現地民の知識人とタタール人要員との権力闘争が極めて激しかったということである。現在、この成果を論文にまとめる作業に着手しており、2017年11月に北米のスラヴ・ユーラシア学会ASEEESで草稿を発表する予定である。
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