本研究は山岳霊場における「女人禁制(女人結界)」の成立事情や歴史的意義の解明を目的とするものであり、その前提として全国すべての山岳霊場を対象に、その指標となる女人堂・比丘尼石や関連する伝承等を網羅的に検出して、基礎的なデータを作成するとともに、可能な限り現地を訪れて、関連する行事や遺物の現状把握に努めることを目指したものである。最終年度である本年度も当初計画に沿って、各地の山岳霊場の史料を検索する作業を継続するとともに、数回にわたる現地調査を実施した。とくに大きな成果が得られたのは、肥後阿蘇山(熊本県)と美作後山(岡山県)の調査で、前者では阿蘇社神事に女性神職が重要な役割を果たしていたこと、後者では現在も女人禁制を堅持する霊場でありながら、柴灯護摩の執行に際する女性山伏と男性山伏との協力体制の存在を知り、現地聞き取り調査でも、女性の入山規制の理由を危険個所であることによる配慮と認識していることが判明し、「女人禁制」の背景を単純に穢れ観に基づく女性蔑視思想では説明できないとを再確認した。 以上の文献史料による分析と現地調査の成果を整合的にまとめ、本年度は第36回日本山岳修験学会高尾山大会(9月26~28日、東京都八王子市)で「日本宗教史における『女人禁制』の位置」と題する口頭発表を行った。その骨子は、山岳霊場の「女人禁制」が一般寺院のそれとは異なるように見えるのは、峯入りの際の精進潔斎の徹底、神仏習合のもたらした服忌令による浄穢観の拡大浸透、肉体的修行の経験から生じた男尊女卑的思考、その逆である女性への労り感などの影響で、規制がより強化されたためであり、その根底には仏教の戒律思想が存在し、本質的には一般寺院の「女人禁制」と変わるところはないという点である。また併せて、女人堂や比丘尼石の設置は、近世における男女の混在した物見遊山ブームの影響によるものである点も明らかにした。
|