共著『部分と全体の哲学――歴史と現在』所収の論文「虹と鏡像の存在論」において、擬似的実体の一種である「現象的対象」として特徴付けられる虹と鏡像について、特に力能がもたらす実在性の観点に重点を置きながら改めて存在論的考察を行った。 両者の比較、ならびに、また別の現象的対象としての影と両者との比較によって見えてきたのは、次のようなことであった。まず第一に、耐続者が具体的個体として実在すると言えるための必要条件は、それが観測から独立に決定される特定の時空的位置に存在すると言えることである。そして、虹も鏡像もその条件を明らかに満たしていないという理由で非実在的であると判定されたのに対し、影(や穴)はその条件を辛うじて満たす、あるいは少なくとも、満たすと見なしうる、という理由で実在的と判定された。 しかし鏡像と虹という同じ非実在的な擬似的実体どうしでも、その「擬似性」において興味深い対照性が見出された。鏡像の場合は、それがその鏡像であるところの実物の個別性に依存した形でではあれ、きわめて安定した個別性が成立しているにもかかわらず、それが存在するかに思われる位置に一切の原因性を見出せないというところにその非実在性の由来があった。一方、虹の場合は、それが存在するかに思われる位置には原因の明らかな担い手としての物象・事象があるにもかかわらず、そこには通時的・共時的な個別性が一切存在しないという理由によって非実在的と判定されたのであった。これらに対し、影や穴においては、不在因果や(ホストへの)依存的な個別性というきわめて危うげな形でではあれ、実在的な原因性と個別性の成立を見出しえたのである。 以上のような考察は、実体の因果的力能にその実在性の中核を見出す実体存在論の構築に向けた事例的考察としての意義を有している。
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