「哲学(フィロソフィア)」という営みが、全ギリシア世界に由来する知的正統性を背負う教授可能な学術分野として『哲学のすすめ』等の一般向け広報を通して喧伝され始めたのは、前四世紀後半アテナイにおいて、新興勢力マケドニアの出先研究教育機関ともいえるリュケイオンを創設したアリストテレスとその取巻きのペリパトス学派に端を発するといえるだろう。アリストテレス『形而上学』A巻が描出するギリシア哲学史は、マケドニア固有の政治的・文化的志向性を色濃く宿すと推察される。本研究は、この見立てに基づき、従来ギリシア哲学研究において等閑視される傾向にあったアリストテレス的哲学史編纂の特異性の具体的内実を明らかにし、前五世紀前半から前四世紀末のアテナイを取巻く文化的勢力図の変動を視野に入れた諸考察を個別的に展開することを通して、ペリパトス学派の史的座標軸を相対化しうる新しい哲学史の見取り図を古典文献学的論拠と共に構築することを試みた。得られた諸知見には以下の事項が含まれる。1. 前五世紀中葉においてヘロドトスが提起した「ギリシア文化の異民族起源説」を裏付ける古代の諸証言は、前四世紀後半のアリストテレス的哲学史編纂の枠組みに実質的に継承された。後にギリシア愛好主義者プルタルコスが『ヘロドトスの悪意について』を通して展開したヘロドトス批判は、フェニキア人出自のタレスをギリシア的哲学の始祖に敢えて据えたことに象徴されるアリストテレスならではの哲学史編纂に対しても、等しく有効に機能する。2.前五世紀後半のアテナイにおいて先鋭化した「アテナイ中心主義」と「脱アテナイ中心主義」の対立軸を精査し、当時渦巻く「脱イオニア史観」や「スパルタ愛好主義」そして「エジプト愛好主義」の思潮の変遷を哲学・歴史・文学・政治弁論に及ぶ各種古典諸文献を手掛かりに個別的に再構成することを通して、アリストテレス的哲学史観の特異性を描出した。
|