異文化間を橋渡しする共通の尺度といったものがあるわけではない。日本の場合、古来より外来文化を受容してきたが、そのさい重要な役割を果たしたのが「翻訳」である。それには二つの側面がある。一つは意味の置換であり、もう一つは意味の創造である。「翻訳」は、異なる言語間に一対一対応の等価な意味を見出そうとする試みである。だが、現実には元の意味の忠実なコピーであることはありえず、元の原文と翻訳文との間には意味のズレが生じる。しかし、このズレが新しい意味をもたらす。「翻訳」に見られる、意味の等価性と創造的なズレ、ここに同一の準拠枠内ではなく、異なる準拠枠間での解釈学の可能性を探るための手掛かりがある。
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