春秋テキストは通説では、公羊伝・穀梁伝型の春秋経が先ず成立し、これに続経を付した春秋経が作られ、その伝としての左伝が成立したとする。しかし、本研究では、先ず前4世紀前半に原左氏伝が魯・晋・楚等の列国の史書から編纂され、次に原左氏伝から抽出・編作の手法を基本として春秋経(左氏経)が作られ、同時に経に対する解経文等を原左氏伝に付して左氏伝(今本左伝の祖型テキスト)が成立し、ついで経の哀公十四年「西狩獲麟」の下文を削除した穀梁伝及び公羊伝型春秋経が行われそれぞれに伝が作られた、との仮説を提起している。 これを傍証するのは、哀公十六年までの春秋二百四十四年の全経文を、①原左氏伝からの抽出文、②抽出的編作文、③編作文、④無伝の経文という四種に分類する方法による検証である。その分析の結果は、①と②の抽出系の経文の合計が全体の51%を超え、この仮説の基本的妥当性を示す。 原左氏伝からの春秋経・左氏伝の成立は、従来の華夷史観を完成させ、かつ周王から夏王への王権交代という循環史観と「名」の筆法による名教史観を成立せしめ、中国文明の歴史観の原型をここに形成した。 ドイツの史家ベルンハイムは、歴史の総観照においては史学は歴史哲学(史観)と相互に補助学の関係であるとする。彼の方法を用いると、中国文明の歴史叙述と史観の変遷は、1物語風歴史、2教訓的・実用的歴史、3経学的歴史観、4近代史学(唯物史観や実証史学)の受容となる。1は詩・書、2は原左氏伝に概ね対応し、3はその原型を春秋経・左氏伝の成立の段階に求めうる。 本研究は、従来の春秋経からのその伝の成立という経学的通説の視点をコペルニクス的に転換し、原左氏伝からの経および伝の成立という斬新な仮説を実証的に論証し、中国文明の歴史観を今日も規定する経学史観(名教史観)の成立のメカニズムを解明し、かつ春秋戦国史の実証的解明に新たな展望をもたらすものである。
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