原発を筆頭に、科学技術がもたらすリスクは人類的なものである。宗教の有無、違いにかかわらず、そのリスクを考え、対応できる倫理的通路を多様に見出すために、諸宗教は固有の伝統を活用しつつ、相互に交響する宗教倫理的「公共性」を展開すべきである。その手がかりとなる点を、本年度は以下のように得ることができた。 (1)食と大地の関係性の発見:人間の肥大化する欲求に対応するエネルギーの大量消費や環境破壊は、広い意味での「食」にかかわる。本研究はそれを「食の倫理」として対象化してきた。西洋思想においても、「人間は食べるところのものである」というテーゼを示したフォイエルバッハのような哲学者はいるものの、思想や宗教の主流をなしたのは、人間の精神や魂の特殊性(崇高さ)への着目であって、肉体やそれを支える大地に積極的な意義が見出されることはまれであった。 しかし、本研究にとって重要な「世代間倫理」を具体的なものとして構築するためには、時間的および空間的な次元における間身体性(時間的・空間的ギャップを架橋する身体的つながり)が重要であり、その間身体性の土台となるのは、すべての命を支える「大地性」であることを認識するに至った。また、それを現代社会において展開するための思想的な手がかりを、鈴木大拙や田中正造らに見出すことができた。西洋キリスト教が大地に関心を向けることはなかったが、聖書におけるイエスの思想には大地とのつながりを確認できる箇所が少なくないことも、今後の手がかりとなる。 (2)大量消費社会への批判的視座:現代社会における消費欲求は、インターネットを基盤とするバーチャルな構造によって支えられている。それは視覚と聴覚に特化した身体感覚に依存している。食や大地性の課題に向き合うためには、それ以外の五感の重要性を喚起し、リアルな世界(生命圏)に適切な形で接続できる新たな身体論が必要であることがわかった。
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