研究課題/領域番号 |
25370081
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
田中 純 東京大学, 総合文化研究科, 教授 (10251331)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 徴候的知 / ダイアグラム / ヴァルター・ベンヤミン / ジークフリート・クラカウアー / イメージ / アビ・ヴァールブルク |
研究概要 |
文化人類学者マイケル・タウシグが、「歴史のイメージ」をめぐるヴァルター・ベンヤミンの思想から受けた強い影響のもとに展開している、フィールドワークにおけるドローイングを一種のダイアグラムととらえる議論を手がかりとして、ドローイングや写真までも包摂するダイアグラム論の理論的枠組みの可能性について考察した。ベンヤミンについては、アーカイヴ資料のカタログや著作集ほかの情報をもとに、彼のテクストに現われるダイアグラム的表現およびそれらのイメージをめぐる言及を整理した。ジークフリート・クラカウアーについては、マールバッハのドイツ文学アーカイヴが所蔵する自筆草稿などの一次資料を対象として、ダイアグラム的表現に焦点を絞った調査を実行した。 理論的反省からアーカイヴ調査にいたるこの過程では、徴候的知が発揮される契機として、通常のダイアグラム的図表ばかりではなく、写真のイメージが大きく関与しうることが見出された。そしてここから、作家W.G.ゼーバルトの小説に数多く挿入されている写真が、一種の徴候的知としての歴史の記憶を喚起している点に着目し、この作家の独特な文学世界の形成にこうした写真がどのように寄与しているのかという分析をダイアグラム論と関連づける視座を得た。ドイツ文学アーカイヴにはゼーバルトの作品草稿が収蔵されているため、いくつかの作品に関しては、草稿の綿密な調査を行なうことができた。 ダイアグラム的表現が発見法的に機能する背景には、イメージが身体を触発し情動を喚起する作用があるものと思われる。この作用をめぐり、アビ・ヴァールブルクをはじめとする歴史家たちにおける徴候的知として、過去を身体的に感覚する「過去の経験」ないし「歴史経験」のなされ方について、とくに視覚的な要素との関わりを中心に、ヴァールブルクとヨハン・ホイジンガを比較した考察を試みた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
ベンヤミンについては、ベルリンのヴァルター・ベンヤミン・アーカイヴをあらたに訪問することはできなかったものの、かなりの資料を収めたカタログや著作集ほかの情報によって、ダイアグラム的表現と彼のイメージ論との関係の分析には一定の進捗を見た。さらに、マイケル・タウシグの著作を参考に、ベンヤミンのダイアグラム的実践とイメージの思想をドローイングや写真をめぐる議論に接続する視点も得ている。 クラカウアーに関しては、マールバッハのドイツ文学アーカイヴで草稿調査が実現できたものの、初期の日記に書き込まれた線描や建築家としてのドローイング以外はダイアグラムに類する要素はわずかしか見出されなかった。そこで同じアーカイヴでゼーバルトの草稿調査を行ない、テクストに挿入された写真という視覚的要素を徴候的知と関連づける分析を加えることにより、研究範囲の拡張を図った。また、本研究が課題としているヴァールブルクとの比較をめぐっては、徴候的知の表われを写真を含む視覚的要素全般に拡げて扱ったうえで、ホイジンガの例も参照しながら、歴史家における「過去の経験」ないし「歴史経験」の問題として立論する展望を切り開いた。 以上のように本研究は、資料調査の結果に即して対象領域に変更を加えているものの、全体として当初の目的を越える豊かな可能性を開拓していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
ベンヤミンにおけるダイアグラム的表現をヴァールブルクにおける同種の表現と比較して検討することにより、徴候的知の表われとしての図像表現が共通して有する規則性や、その背景となっている文化的諸要素を解明するとともに、彼らが展開しているイメージをめぐる思想を「ダイアグラム的知」の理論へと再構成することを試みる。クラカウアーについては、「歴史のマイクロロジー」の理論的考察の次元で、現象の「細部」に着目する方法における徴候的知と視覚的要素との関係性を、前二者と比較しつつ考察の対象とする。さらに、このような「ダイアグラム的知」の思想的整理のうえで、あらたに課題として設定したゼーバルトの小説における写真の機能・効果の分析を行なう。そしてこれらを総合し、ここで取り上げている歴史家や思想家、作家たちが過去の事象をどのように感覚的に経験することから出発して、最終的に言語テクストや視覚的媒体によって表現するにいたっているのか、つまり、どのような形式で他者に歴史経験を伝達しようとしていたのかという点について、歴史に関係する徴候的イメージの発見や創造の論理を明らかにしたい。 以上のような思想史的考察は、ホルスト・ブレーデカンプらが提唱する「像行為」理論や認知科学の知見などをもとにした、学術知の創出・認識過程におけるダイアグラムの作用に関わる分析と結びつけられることになる。これによってさらに、「Diagrammatik」や「Diagrammatologie」といった研究動向に代表される、近年におけるダイアグラムへの注目そのものの背景もまた思想史的な観点から解明されることとなろう。
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