研究課題
本研究は、主客未分の体験として現象学的に語られている体験様式に、現代美術の造形と精神分析的の理論からより明確な構造化を与え、それをケアの論理へと再編成することを目的とするものである。精神分析の「リトラル」の概念によって示される海と陸のどちらともつかぬ時空を、現代美術によって造形された、動きを已めぬ表面の文様によって思考した。このことは皮膚同士の触れ合いにおける主客未分の体験の独自性をより明確な平面にもたらし、ケアの場においては運動を障害された筋肉とそのリハビリの施行者との間での出来事を記述することへの見通しにつながった。引き続き精神分析の理論から主客未分の体験領域を考察してゆき、精神分析における、自他の特異的な重なり合いを表現するとされる不安の対象が、この体験領域に位置するという洞察に至った。この対象が、乳児期から幼児期にかけて経験される「寸断された身体」と呼ばれる自己身体の不協和状態に根差すものであるところから、主客未分の体験もまた、切れ目のない融合体験であるというよりは、多くの錯綜した断裂線を含んだ体験であって、主体の側と客体の側のともどもの断裂が主客未分と言える混在状態を生むのであると推定することができた。このことは精神分析の研究からのみならず、発達心理学の幼児観察記述からも確認することができた。現代美術の映像における散在する複数の人間の四肢を暗い空間において目撃することによって、こうした発達上の位相の再体験を試み、またケアの場において失語と麻痺を患う人とリハビリの術者との接触の際の相互経験を記述した。患者の精神はその接触を有意義と感じながらもそこから逃げるという葛藤的な状態の中にあった。主客未分の体験は、究極的な融合体験ではなく、むしろ「寸断された身体」による抵抗を含んだ両価的経験であって、そこにこそその相互的交流運動の発条としての可能性があると考えられた。
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