研究課題/領域番号 |
25370086
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
研究機関 | 岡山大学 |
研究代表者 |
金関 猛 岡山大学, 社会文化科学研究科, 教授 (20144727)
|
研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2018-03-31
|
キーワード | ジークムント・フロイト / 精神分析 / 神経学 / ウィーン大学 |
研究概要 |
本研究の目的は精神分析創出に至るまでのフロイトの学問的、思想的背景を明らかにするというところにある。そのため、研究代表者は、フロイトの学生時代の研究について考察する口頭発表を行うとともに、また、それに関する論文を発表した。学会での研究発表では、フロイトの学生時代の論文「ヤツメウナギの幼生(アンモシーテス)の脊髄における後根の起始について」を論じた。これは、ウィーン大学医学部のブリュッケ教授の指導のもとで書かれた論文で、発表当時(1877年)フロイトは弱冠21歳だった。研究代表者は、とりわけこのフロイトの最初の論文が、学界でどのように受容されたかを調査し、それについて口頭発表した。ヤツメウナギの神経系に関するこの論文については、発表の直後にこれを高く評価する書評が発表され、さらにその後も多くの神経学に関連する論文で引用され、この問題の基本文献という位置づけを得ていることを確認した。21世紀の神経解剖学者の論文においても、このフロイトの学生時代の論文の重要性が指摘されているのである。フロイトの学生時代の業績の評価を跡づける研究はこれまでなかったものであり、学問的意義は高いと考える。これにより、精神分析の背景にはフロイトの厳密な科学精神があるということが立証された。 2013年12月に発表した論文「始まりの前のフロイト(一)」では、フロイトがウィーン大学に入学するにあたって医学部を選択した理由、大学で履修した科目を確認するとともに、当時の学問的潮流について論じた。フロイトの志向はあくまで自然科学者としての真理探究にあった。それとともにフランツ・ブレンターノの哲学の講義を受講するなど、人文学への関心も深かった。こうしたこと自体はすでに知られてはいるが、本論文ではこれまで日本ではほとんど知られていない文献を用いてそのことを論証した。これは、今後の研究の出発点となる論文である。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は精神分析創出以前のフロイトの学問的、思想的背景を明らかにするというところにある。平成25年度においては、フロイトの学生時代にまでさかのぼって、それについて考察し、学会での研究発表と紀要論文によって、それについて論じた。とりわけフロイトのヤツメウナギに関する論文は途方もない根気と職人的な技術によって成り立つ綿密な実証研究であることを明らかにできた。このことによって精神分析の背景には厳密な実証科学があるということが確認できたのであり、フロイト精神分析の始まりを考察する立脚点を構築できた。資料収集等も順調である。ただし、所属機関の紀要での論文発表を2回予定していたが、初年度のため準備が整わず、1回となった。しかし、全体として研究はおおむね順調に進展していると判断する。
|
今後の研究の推進方策 |
今年度は、昨年の学会発表とそれに関する質疑応答に基づいて、フロイトの最初の神経学研究に関する論文を執筆し、所属機関の紀要で公表する。また、フロイトはウィーン大学生時代に、ひじょうに多面的な活動を行っているので、それを跡づけて、精神分析創出とのかかわりを考察する。とりわけ、フロイトは、ウィーン大学医学部教授エルンスト・ブリュッケを終生敬愛し、また、学生時代には、その生理学研究所で「大いなる満足を得た」と述べている。ブリュッケは生理学者であり、一見したところ、精神分析とはかかわりがない。しかし、フロイトにとってブリュッケが大きな意味をもつ人物であったことは確実であるので、学生時代のフロイトとブリュッケの関係、またブリュッケの背後にあるヘルムホルツ学派とフロイトのかかわりといった点について考察する。これについて、学会で口頭発表するとともに、紀要論文で公表する予定である。
|