研究課題/領域番号 |
25370087
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研究種目 |
基盤研究(C)
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研究機関 | 香川大学 |
研究代表者 |
金澤 忠信 香川大学, 経済学部, 准教授 (20507925)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | ソシュール / 政治思想 / 言語思想 / 19世紀末・20世紀初頭 / ジュネーヴ / アルメニア人虐殺 / ドレフュス事件 / ボーア戦争 |
研究概要 |
本研究は、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが、19世紀末から20世紀初頭の世界史的事件に対して、どのような政治的立場を取っているかを明らかにしたうえで、彼の政治思想と言語思想の関係を究明するものである。そのため、まず、ドレフュス事件、日清戦争、ボーア戦争、アルメニア人虐殺事件や、知識人、人道主義、キリスト教史、国際政治史に関する研究書を入手し、当時の客観的な状況把握に努めた。 2014年3月に3週間ジュネーヴに滞在し、ジュネーヴ図書館でソシュールと彼の友人・知人、同僚、学生、近親者らの書簡資料を閲覧・収集した。また、ソシュールが当時行っていた伝説・神話研究、アナグラム研究に関する手稿や参考文献についても調査した。ジュネーヴ・アルメニア・センターでは、付属図書室に収蔵されている、スイスにおけるアルメニア人の政治的活動や入植状況に関する資料およびレオポルト・ファーヴル、アントニー・クラフト=ボナールらスイス人によるアルメニア人救済活動に関する資料を中心に収集した。 ソシュールの周りにはレオポルト・ファーヴル、エドゥアール・ナヴィルといったジュネーヴにおけるアルメニア人救済活動を主導した近親者が何人かいたが、ソシュール自身はそうしたキリスト教・人道主義に基づいた救済活動に対して、きわめて冷笑的な態度を取っていることが手稿から窺い知ることができる。今回の調査により、なんらかの「原理」や「情緒」に拠って立つことを許さない彼の冷徹かつ現実主義的な政治思想があらためて浮き彫りとなり、彼の言語思想と論理の型の点で共通していることが徐々にを明らかになってきた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ジュネーヴ図書館で、ソシュールによる書簡の草稿およびソシュール宛ての書簡のうち、資料番号Archives de Saussure 366, 368のすべてをPDF形式で入手することができた。また、ソシュールが伝説・神話研究で参照している文献のうち、「ジュネーヴ歴史考古学協会」や「スイス・ロマンド歴史協会」発行の、日本では入手困難なものを閲覧することができた。特に、フレデリック・ド・ジャンジャン「ブルゴーニュの司祭職に関する覚書」(1838年)、アルベール・リリエ「ジュネーヴ司教区およびヴァレー州アゴーヌ修道院でヴィエンヌ司教アウィトゥスが行った説教に関する歴史的推察」(1867年)は、ソシュールの学問上の立場・姿勢を知るうえで、非常に役に立った。 ジュネーヴ・アルメニア・センターで、司書のネヴリク・アザディアン氏に協力を依頼し、スイスにおけるアルメニア人救済活動および亡命アルメニア人の政治的・文化的活動に関する資料を選定・提示していただいた。それらのうち日本では入手困難なものについては許可を得てデジタルカメラで撮影した。複数部残存している集会等のパンフレットは現物をいただいたものもある。 当初予定・計画はしていなかったが、同時期にジュネーヴ図書館に調査に来ていた著名なソシュール研究者であるクラウディア・メヒア・キヒャーノ教授(コロンビア・アンティオキア大学)とソシュール研究のあり方について議論することができた。同教授から、今後研究上協力関係を構築していこうという提案があり、同意した。
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今後の研究の推進方策 |
平成26年度は、ジュネーヴで収集した資料を精査する作業に従事しつつ、パリでも資料収集を行う。ソシュールは1880年から1891年までパリに滞在しているが、その間に彼と親交があり、ドレフュス事件およびアルメニア問題に関与したルイ・アヴェ、ガストン・パリス、ミシェル・ブレアル、ピエール・キヤールや、高等研究実習院以外で知り合った人物との交友関係について調査する。これまでのジュネーヴでの調査から、ソシュールはかなり頻繁に新聞の編集者・記者宛てに手紙を書き送っていたことが分かっているので、国立図書館に所蔵されている当該の新聞社(La Libre Parole, Le Figaro, Le Temps, etc.)や、ソシュールと書簡のやりとりをしたと推測されるジャーナリスト(アドリアン・エブラール、ドゥニ・ギベールなど)に関する資料を収集する。 ソシュールの弟子でアルメニア語の講座を担当していた言語学者アントワーヌ・メイエの講義報告書や講演に関する資料をパリ高等研究実習院で収集する(メイエはアルメニア人詩人で活動家でもあったアルシャグ・チョバニアンと交流があり、また自身もアルメニア人救済活動に関与している)。パリは当時ジュネーヴとならんでアルメニア人救済活動の拠点だったので、「アルメニア人のディアスポラに関する研究センター」でも調査を行うことにする。特に1894-1896年のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺およびフランスでの救済活動に関する資料を収集する。 平成25年度のジュネーヴ滞在では、元ジュネーヴ大学教授アレックス・ロイカルト氏と会見することができなかったため、引き続き連絡を取りつつ、平成27年度にジュネーヴで、メイエおよびアルメニア語言語学に関する助言をいただけるよう調整する。
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