ミュージアム分析、文化産業分析、専門領域の確立過程の分析のうち、とくに記憶の「商品化」を直接的に媒介しているミュージアムと文化産業の分析を中心に、アルゼンチンとチリのケースの比較を軸に行った。 民主化過程で人権侵害被害者の証言がメディアによって媒介され、文民政府下の文化政策のもとで記録され、記念碑化されることによって、軍政下での人権侵害の記憶は加速度的に「文化的記憶」として「集合的記憶化」ないし社会化してきた。両国ともに記憶の社会化過程において、人権組織は重要な役割を果たしたが、同時にメディアやときの文民政府が記憶の文化産業化の中心となって機能してきたことが判明した。しかし両国には大きな違いがあることも判った。 1990年代半ば以降のメディアでの「記憶ブーム」が駆動輪となって、アルゼンチンでは旧秘密拷問・監禁施設(以下exCCD)のミュージアム化や祈念公園の設置が急速に進んだ。exCCDの発掘・保存・展示や人権運動の主体はキルチネル左派政権登場後は政府に移ったが、皮肉なことに人権イシューの自律性・独立性は徐々に後退し、国家の介入が顕著になった。その過程でトラウマ的記憶は政府に認められる公的な「文化財」と位置づけられ、2000年代半ば以降、祈念公園やミュージアムは国の観光資源の一部へと組み込まれ、「ダーク・ツーリズム」の様相を呈し始めた。 チリもアルゼンチン同様exCCDのミュージアム化や祈念公園化が進んだが、「記憶のブーム」がメディアを席巻したアルゼンチンとは異なり、その過程は比較的緩やかに進行した。バチェレ政権下で2010年に創設された記憶ミュージアムを別とすると、Villa GrimaldiやLondres 38等、旧秘密監禁・拷問施設で現在「記憶の場」として整備が進んでいる場所は、いずれも公的な「文化財」への位置づけは十全にはなされていないといえる。
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