資料収集の結果、南北朝は1800件、83万字、隋代は800件、31万字に増加した。墓葬の多い洛陽、(業+おおざと)(現在の河北省磁県南)、西安に注目した結果、、(業+おおざと)城付近は北魏でほぼ見られなくなっていた隷書が、540年頃から復活する。ここが「紫陌」と称される地点である。また、隋代になると、墓誌銘が激減していた洛陽で、再度隷書墓誌銘が作られるようになり、完成度の高いものが含まれるようになった。同時期には西安で楷書の優品が作成される。隷書の知識を持った者が、(業+おおざと)から移動し、洛陽や西安で作成するようになったのではないかと思われる。
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