4月のシンガポール大学におけるアジア演劇研究コロキウムおよび、7月のストックホルム大学における国際演劇学会(FITR)年次大会に出席し、近代日本演劇の問題について発表し、ワーキンググループの司会として、全体を取り仕切ったが、シンガポールでは、演劇の近代化に関する各国の状況を理解することで、多くの研究成果を得ることができた。たとえば、インドにおける演劇抑圧と日本の状況の比較などである。 また、ストックホルムでの会議では、欧米の演劇状況を知ることで、より広い視野から日本演劇とイプセンの理解を得ることができた。スウェーデンはイプセンの時代の北欧演劇を牽引していたが、その中で、演劇的にはいわば後進であったノルウェーの作家イプセンが、どのように理解されていたかを知る手がかりを得ることもできた。それは第一に、演劇上演の環境の違いによることで、それは、当時のノルウェーがスウェーデン国王の下での連合王国に組み込まれていたこととも、当然関係したことであった。 夏以後は、東京のイプセン・フェスティヴァルの芸術監督をつとめ、わたしもイプセン『人民の敵』の翻案劇を演出したが、その制作過程および成果により、イプセンが19世紀後半のヨーロッパの社会問題をいかに直接的に批判していたかを理解したとともに、それを観客に衝撃的に示すことで、一般のイプセン理解を深めることができた。その成果を英語論文にまとめて、イギリスの学術誌Scandinavicaに投稿したが、現在、査読中である。同様の内容の日本語論文は、成城大学文芸学部紀要『成城文藝』に寄稿し、現在、印刷中である。
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