研究課題/領域番号 |
25370120
|
研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
岸 文和 同志社大学, 文学部, 教授 (30177810)
|
研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | 視覚文化論 / 広告図像 / 東アジア / 大衆 / 幸福 / 満州 / 台湾 / 朝鮮 |
研究実績の概要 |
平成27年度は、サントリー文化財団の助成を受けるとともに、大正イマジュリィ学会の全面的な協力のもとで、国際シンポジウム「東アジアにおける大衆的図像の視覚文化論」を3回(昨年度から通算6回)開催することによって、日本/中国/台湾/満州/朝鮮のそれぞれの文化圏の大衆が抱いていた(押し付けられた)《幸福》の内実を明らかにすることを試みた。 第4回国際シンポジウム(2015年8月21・22日)では、岸が趣旨説明「〈幸福〉のかたち:ヴィジュアル・レトリックの観点から」を行い、権昶奎(延世大学比較社会文化研究所)、金相燁(韓国文化財庁)と、7名の日本人研究者が発表を行うとともに、佐藤守弘(京都精華大学)の司会で全体討論を行った。 第5回国際シンポジウム(2015年12月25・26日)では、岸が趣旨説明「幸福のかたち:広告メディアの歴史」を行い、呉咏梅(香港大学現代言語文化学院)、孫秀蕙(国立政治大学広告系) ・陳儀芬(フルブライト研究員)と、7名の日本人研究者が発表を行うとともに、島本浣(京都精華大学)の司会で全体討論を行った。 第6回国際シンポジウム(2016年3月25・26日)では、岸が中間報告「東アジアにおける日本製商品の広告表象」を行い、胡平(東南大学芸術学院)、湯いん氷(復旦大学芸術設計系)、李培徳 (香港大学経済商学部)と、4名の日本人研究者が発表を行い、田島奈都子(青梅市立美術館)の司会で全体討論を行った。 なお、このシンポジウムと関連して、近畿大学日本文化研究所編『変化と転換を見つめて』(風媒社、2015年3月)に、「私は芸者ではありません:吉田初三郎《美の国日本》に見る女性表象のジレンマ」を掲載し、鳥瞰図絵師として知られた吉田初三郎が、昭和4年(1929)、対米共同広告委員会の依頼で制作した日本で最初の対外観光誘致ポスターを、視覚文化論の立場から考察した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本研究は、視覚文化論的な枠組みのもとで、日本近代の広告図像が、どのような商品/サービス/社会的行動を、どのような視覚的装置(device)を利用して、どのような魅力をもつものとして表象することによって、消費者の購買・利用・遂行欲求に働きかけようとし、働きかけることができたかを、具体的事例に即して検証することを目的とする。 平成27年度も、幸いなことに、サントリー文化財団による「人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成」を受けるとともに、大正イマジュリィ学会の全面的な協力のもとで、国際シンポジウム「東アジアにおける大衆的図像の視覚文化論」を3回(昨年度から通算6回)開催することによって、研究を、さらに学際的・国際的なものに進展させることができた。 本年度のシンポジウムでは、この時期に、東アジア(日本/中国/満州/台湾/朝鮮)において流通していた5種類の日本製ブランド(中将湯/仁丹/クラブ化粧品/赤玉ポートワイン/味の素)の広告テクスト/イメージを、視覚文化論の枠組みにおいて比較することによって、それぞれの文化圏の大衆が抱いていた(押し付けられた)《幸福》――広告図像が直接/間接的に表象する理想的状態――の内実を明らかにすることを試みた。
|
今後の研究の推進方策 |
本研究は、消費文化、家庭生活、合理的生活、マスコミなどの点で現代の文化現象に直結する大衆文化を解明することを目的としている。平成28年度は、これまで6回にわたって開催してきた国際シンポジウム「東アジアにおける大衆的図像の視覚文化論」の成果を、報告書として総括することを試みる。 そのさい、次の3つの点に留意して研究を総括することとする。すなわち、大正時代から昭和初期にかけての広告を、第1に、一定の状況(注文主/制作者/仲介者/受容者/歴史的・社会的・文化的コンテクスト)の内部で機能するメディアとして多元的に把握する点、第2に、他の大衆的図像(新聞・雑誌・小説の挿絵、グラビア写真、絵はがき)との水平的関連(類似/差異)を視野に入れる点、第3に、雅/俗(ハイ/サブ・カルチャー、伝統/新興)の対立と融和という垂直的な文化力学を考慮する点である。 本研究は、学際的(芸術学/美学/美術史/デザイン史/写真史/社会学/歴史学)、かつ国際的(日本/中国/台湾/韓国)な視野で、広告を検証することによって、東アジア文化圏の大衆が想像/創造した理想的状態(幸福)の内実を検証しうるものと確信する。
|