宗教的な主題が衰退するに伴い、それと反比例する形で単独のジャンルとして独立したという静物画観が一般的に受けいれられているが、わかりやすが、それだけに一面的な真実を表しているに過ぎない。宗教性が美的感性を促し、一件逆説的なようだが、描かれた「静物」がその発展を増幅する働きをもっていた。その事実は、歴史画を頂点とする古典主義的な絵画のヒエラルキーの適応範囲がきわめて限定的であったことを明らかにするものである。つまり、古典主義の美術理論では最下位に置かれた静物画こそが、ネーデルラントでは脱領域的に枢要な役割をはたすことになるのである。そうした歴史的展開に与って力のあった枢要な要因の一つが、地理上の発見であった。多種多様なモノがヨーロッパに流入してきたことが重要なファクターとなったのである。それが原因で大きく揺さぶられたアイデンティティの確立のために、みずからのアイデンティティを探求する熾烈なまでの要求が起こった。そうした潮流から古代の「静物」観の再評価へと目がむけられるようになる。「静物」描写の再評価である。 16 世紀後半、ネーデルラントを席巻したイコノクラスム(偶像破壊運動)により、主教画像の禁止が「静物」を美的だと感じさせる感性をより深化させ、フェティシズムへと向かう心性が醸成された。特にオランダにおいては「静物」が東洋交易との隆盛により促進され、それは「オランダ」の表象として際立ち、スペインなどの旧世界を駆逐する政治的機能を果たすことになったのである。
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